内子(町)(読み)うちこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内子(町)」の意味・わかりやすい解説

内子(町)
うちこ

愛媛県中西部、喜多(きた)郡にある町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)大瀬、立川、五城(ごじょう)、満穂(みつほ)の4村と合併。2005年(平成17)喜多郡五十崎町(いかざきちょう)、上浮穴(かみうけな)郡小田町(おだちょう)と合併。町域は、肱(ひじ)川上流の小田川中山川、麓(ふもと)川の流域山地およびその下流の通称内山盆地からなり、南東部は仁淀(によど)川水系黒川の流域。JR予讃(よさん)線、内子線、国道56号、379号、380号が通じ、松山自動車道の内子五十崎インターチェンジがある。

 江戸時代には大洲(おおず)藩と新谷(にいや)藩領であった。中心市街の内子は大洲藩の在郷町(在町)で、6日、7日、8日、20日の市日をもつ地区からなっていた。古くから製紙製糸で知られ、紙の生産は古く正倉院文書にも記録され、藩政時代には大洲半紙の産地となり、大洲藩の紙役所が置かれ、コウゾや紙の取引の中心地であった。現在でも手漉(てす)き和紙業が残っている。また1738年(元文3)から木蝋(もくろう)の生産が始まり、明治末には全国生産の40%を占め、製蝋業(せいろうぎょう)が盛んとなったが、大正になって衰え、養蚕業による製糸も昭和になって衰退した。現在、主産業は農林業。小田川沿岸では米、タバコ、果樹酪農などが盛ん。特産にクリ、ブドウモモ、ナシなどの果物やシイタケなどがある。杉の磨き丸太は建築用材として山村振興に役だっている。

 かつて製蝋で栄えた中心地区には商家造りが多く残り、往時を伝える八日市護国(ようかいちごこく)の歴史的町並は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。木蝋生産で財をなした豪商の本芳我家住宅(ほんはがけじゅうたく)は、国指定重要文化財。分家の上芳我家住宅(かみはがけじゅうたく)は木蝋資料館となっており、建物は国の重要文化財に、製蝋用具は国の重要有形民俗文化財に指定されている。歴史地区にはほかにも大村家住宅(国指定重要文化財)、江戸時代の町屋を使った町屋資料館、商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館)などがあり、大正時代の芝居小屋「内子座」は現在も芝居公演などで活用されており、町をあげての振興事業を行っている。毎年5月5日に小田川をはさんで数百枚の凧(たこ)を上げて競う伝統行事「大凧合戦」は、県指定の無形民俗文化財。南東部の小田深山(おだみやま)は国有林地帯(約4200ヘクタール)で、原生林も多く、渓谷は行楽地となっている。面積299.43平方キロメートル、人口1万5322(2020)。

[横山昭市]

『『内子町誌』(1971・内子町)』『『新編内子町誌』(1995・内子町)』


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