内山峠(読み)うちやまとうげ

日本歴史地名大系 「内山峠」の解説

内山峠
うちやまとうげ

長野県東部と群馬県南西部の境、標高一〇六六メートル。北の熊倉峰くまくらのみね(一二三四メートル)の裾にある。熊倉峰の北は物見ものみ(一三七五メートル)、峠の南は荒船あらふね(一四二三メートル)。これらが南北に尾根をなし西は千曲川水系、東は利根とね川水系の分水嶺となっている。北の碓氷峠を通る中山道に対する裏街道の富岡とみおか(現国道二五四号)が通る。

古くから上野と信濃との交流の道として使用され、戦国時代には軍事上の要衝であった。江戸時代、段当収量の多い佐久地方に対し、上野国の甘楽かんら郡西部は水田に恵まれず、佐久の米に依存すること大であった。


内山峠
うちやまとうげ

長野県との県境にある峠の一つ。標高一〇六六メートル。北は熊倉くまくら(一二三四メートル)、南は荒船あらふね(一四二二・五メートル)に連なる。古くから上信両国の交流の道として知られ、戦国末には武田勢の西上州への進出口の一つであった。近世には中山道脇往還下仁田道の内山峠越となっていた。近世に入ると、信州佐久米の移入口として利用され、本宿もとじゆくの米市場、市野萱いちのかやの米市場へ米が搬出された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「内山峠」の意味・わかりやすい解説

内山峠
うちやまとうげ

群馬県甘楽(かんら)郡下仁田町(しもにたまち)と、長野県佐久市(さくし)との境にある国道254号上の峠。熊倉峰(くまくらみね)(1234メートル)の南にある。現在の峠は標高1066メートルで、1940年(昭和15)に車道として開削されたものであるが、江戸時代、佐久の米や酒と下仁田側の竹細工こんにゃくなどの物資輸送の峠であった。1978年(昭和53)峠下に内山トンネルが完成。峠一帯は牧場や別荘地帯になり、ここから妙義荒船スーパー林道経由で軽井沢(かるいざわ)にも通ずる。峠からの眺めが優れ、眼前の荒船(あらふね)山から八ヶ岳(やつがたけ)連峰などが見え、6月下旬に咲くレンゲツツジもみごとである。荒船山登山コースの入口となっている。妙義荒船佐久高原国定公園に含まれる。

[小林寛義]

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改訂新版 世界大百科事典 「内山峠」の意味・わかりやすい解説

内山峠 (うちやまとうげ)

群馬県甘楽(かんら)郡下仁田町と長野県佐久市の境にある峠。標高1066m。下仁田町から佐久市に通じる国道254号線が通る。この道路は近世,中山道の脇往還(信濃別路)として知られ,姫街道とも呼ばれ,佐久米や越後米が上州へ運ばれていた。現在は妙義荒船佐久高原国定公園のほぼ中央にあたり,荒船山,物見山,神津(こうづ)牧場などへのハイキングコースの基点となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内山峠」の意味・わかりやすい解説

内山峠
うちやまとうげ

群馬県下仁田町と長野県佐久市の境にある峠。標高 1066m。古くから長野県の佐久地方と下仁田を結ぶ交通路にあたり,江戸時代には中山道の脇往還である信濃別路が通り,佐久地方の米が上州地方や江戸へ運ばれた。現在は国道 254号線となり,トンネルで通じている。付近に神津牧場,内山牧場,物見山などがあり,交通量が多い。一帯は妙義荒船佐久高原国定公園に属する。

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