内田 良平(読み)ウチダ リョウヘイ

20世紀日本人名事典の解説

内田 良平
ウチダ リョウヘイ

明治〜昭和期の国家主義者 大日本生産党総裁;黒龍会主幹。



生年
明治7年2月11日(1874年)

没年
昭和12(1937)年7月26日

出生地
福岡県福岡市

学歴〔年〕
東洋語学校卒

経歴
玄洋社に学ぶ。明治27年朝鮮に渡り、天佑俠を組織して東学党を応援。30年シベリア単独横断後、サンクトペテルブルクに赴き、ロシアの内情を視察。34年大アジア主義と天皇主義を標榜して黒龍会結成、主幹。同年「露西亜亡国論」を刊行、日露開戦を主張。36年対露同志会に参加。38年孫文らの中国革命同盟会の結成に寄与。日露戦争後は韓国統監府嘱託となり、日韓合邦運動に力を注ぐ。大正14年加藤高明首相暗殺未遂事件で入獄。昭和6年ファッション的大衆組織・大日本生産党を組織して総裁、満蒙独立運動、日本のシベリア進出を推進した。

内田 良平
ウチダ リョウヘイ

昭和期の俳優



生年
昭和6(1931)年2月5日

没年
昭和59(1984)年6月15日

出生地
千葉県銚子市

学歴〔年〕
法政大学経済学部卒

経歴
昭和28年、松竹の「壁あつき部屋」で映画に初出演後、「人間の条件」など一連の小林正樹監督作品に出演。ニヒルな風ぼうから殺し屋ややくざなど悪役を主とした個性派俳優として、約300本の映画に出演したが、57年に脳いっ血で倒れ、58年秋にカムバックした。文才、詩才にもたけ、47年に大ヒットした「ハチのムサシは死んだのさ」の作詞者としても知られる。「虫の気持が分かるかい」「みんな笑ってる」などの著書もある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

内田 良平
ウチダ リョウヘイ


職業
俳優

生年月日
昭和6年 2月5日

出生地
千葉県 銚子市

学歴
法政大学経済学部卒

経歴
昭和28年、松竹の「壁あつき部屋」で映画に初出演後、「人間の条件」など一連の小林正樹監督作品に出演。ニヒルな風ぼうから殺し屋ややくざなど悪役を主とした個性派俳優として、約300本の映画に出演したが、57年に脳いっ血で倒れ、58年秋にカムバックした。文才、詩才にもたけ、47年に大ヒットした「ハチのムサシは死んだのさ」の作詞者としても知られる。「虫の気持が分かるかい」「みんな笑ってる」などの著書もある。

没年月日
昭和59年 6月15日 (1984年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典の解説

内田 良平 (うちだ りょうへい)

生年月日:1874年2月11日
明治時代-昭和時代の右翼運動指導者。大日本共産党総裁
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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