職業神(読み)しょくぎょうしん

改訂新版 世界大百科事典 「職業神」の意味・わかりやすい解説

職業神 (しょくぎょうしん)

人はいろいろの仕事をして暮しをたてるが,その仕事が順調であるように神の加護を求める。キリスト教徒の間でも,職業集団によって特定の守護聖人を崇敬することがあるが,日本ではことに,生業によりさまざまな神がまつられてきた。

 農民のあいだでは,稲作を守護してくれる神として田の神をまつる。田の神は地域によって作神,農神,百姓神,地神,亥の神などと呼ばれそのまつり方もちがうが,一般に田の神といえばある定まった田を祭場に,石や木をもってまつる形が多い。しかしなかには近畿地方の農村に集中的にみられる野神のように,村の入口,山裾,田畑や川のほとりの塚や杜(もり)の場合もある。また田の神は恵比須・大黒と習合して信仰されることもあり,その信仰はきわめて複雑である。だが田の神信仰の特徴は,神が一定の場所に常在するのではなく,稲作過程の折り目にそって去来すると考えられており,一般には春に山から里に降りてきて田の神となって稲の生育を見守り,秋に再び山に帰って山の神となると考えられている。

 山民の信仰する山の神も普遍的なものは農民とほぼ共通であるが,山村では山の領域を守護してくれる一種の地主神というべきものがあり,三又など特徴のある木そのものに神が宿ると考え,そうした木の根元に神体石や祠をおいてまつることが多い。また山の神は男神とも女神とも夫婦神とも考えられているが,その性格は信仰するものの立場によって異なる。山を生活の場とする職種は多様で,それぞれ独特の山の神信仰をもち,また特色ある職種神を信仰してまつる。

 山中に樹を切り轆轤(ろくろ)と呼ぶ特殊な工具を使って椀,盆などをつくる工人を木地屋という。木地屋は山を生活の舞台とするため山の神の信仰をもつが,一方でその職能の始祖としての小野宮惟喬(これたか)親王を崇拝した。惟喬親王文徳天皇の第1皇子であったが,第4皇子の惟仁親王が立太子し後に9歳で清和天皇となった。その背後に策謀が渦巻いたといい,世をはかなんだ惟喬親王が仏の道を求めて近江の小椋(おぐら)谷に隠棲した。たまたま読経のさい法華経の経軸から轆轤を思いつき,さっそく付近の山民にその使い方を教え生業の資とした。それが日本の木地業のはじめだといい,こうした由緒をもって惟喬親王を木地屋の職祖神,轆轤の神としてあがめるようになり,小椋谷は木地屋の本拠として親王をまつる神社や宮寺が建立され,崇敬の中心とされた。猟師,炭焼き,木樵(きこり),木挽(こびき)など山稼ぎ職の信ずる山の神は,農民のいう山と里を去来する山の神と信仰を異にし,山の神は一年中山に鎮まると考え,特殊な形をした木を山の神の木としてとくに神聖視する風がある。

 木樵や木挽は山の神をオオイゴと呼んだところから,それに大子,太子の字をあててダイシ,タイシと読まれ,弘法大師や元三(がんざん)大師,智者大師などに付会した話に語り伝えられ,太子様すなわち聖徳太子とも混同して信仰するようになった。

 炭焼き仲間では煙出しの穴から出る煙の色をいかによく判別するかという炭焼き技術の要諦を弘法大師から教えられたのだといい,煙出しの穴をダイシアナと呼ぶところが東日本にはたくさんあった。この弘法大師がまた聖徳太子と混同して語り伝えられ炭焼きも太子様を信仰した。

 関西以西では木樵,木挽,炭焼きのほかに大工,左官石屋,桶屋などの職人ももっぱら太子様を信仰し,太子講を組んでまつりをした。これは農村の大師講すなわちダイシコウと区別してタイシコウと呼ばれ,祭日も大師講とちがっているのが普通である。

 石切りや石細工の職人を一般に石屋というが,彼らも祖神として太子様を信仰しまつった。とくに石垣石屋や,石像,石塔,鳥居などをつくる細工石屋などの町石屋は,大工などと同じように太子講を組んで聖徳太子の忌日をまつり日として順番に宿をつとめてまつりをした。だが丁場(ちようば)と呼ばれる石切場で石材採掘をする山石屋のあいだでは山の神をまつる風習があり,11月7日に丁場にぼた餅,神酒を供えてまつり一日仕事を休む。

 冶金,鋳金,鍛鉄の業,すなわち鑪師(たたらし)や鋳物師(いもじ),鍛冶屋の神としてその信仰のもっともいちじるしいのは荒神,稲荷神,金屋子神(かなやごがみ)である。荒神は竈荒神,三宝荒神の名があるように一般には竈の神,火の神として信仰され,なかには別種の荒神として地神,地主神あるいは山の神として信仰される場合もあるが,鍛冶屋など火を使う職業の徒がこれを信仰することは,火の神としてまつられる荒神の性格からきたものであり,それには修験者や陰陽師などの関与もあった。畿内一帯から北陸,東北の南部,四国の東部,江戸では稲荷神をまつる風が濃厚であった。元来火の神ではなく穀霊であり農の神であった稲荷が鍛冶屋の信仰をあつめたことは,謡曲《小鍛冶》の説話に示されている。昔,一乗院が不思議のお告げによって三条小鍛冶宗近に剣を打つように命じた。だが宗近に適当な相槌の者がいなくて困惑し稲荷明神に祈ると,稲荷明神が現れて相槌を打って助け,打ち上げた剣の表に小鍛冶宗近,裏に小狐の銘を入れて稲荷山に帰ったというのである。こうした説話の生まれる以前に,すでに鍛冶屋のあいだに稲荷の信仰があったらしい。中国地方をはじめ四国・九州の一部,関東・東北の一部などもっとも広く信仰されたのが金屋子神である。金屋神,金谷神,金鋳神,金井神などと呼ぶのもこの神であり,中国山地の鑪地帯においてもっとも濃厚で,鉄穴(かんな)から鑪,大鍛冶・小鍛冶,鋳物師,鋳掛屋,炭釜にいたるまで,鉄に関する職にたずさわるものはすべてこの神を守護神とした。

 海を生業の場とする漁民は,漁の道具一つ一つに神霊が宿ると考え,船には船霊(ふなだま),網には網霊があると信じたが,ことに船霊は船の守護神として,もっとも深く信仰される。一般に船霊の神体は,男女一対の人形,銭12文,女の毛髪,双六の賽2個とされる。こうした神体を船に乗せるのを〈お性根入れ〉といい,一般に船下しのとき行われる。それは潮の満干や日柄によって決められ,船大工が帆柱のところに納める。これで船に霊が入ったことになる。

 また漁民がもっとも広く信仰する神に恵比須がある。恵比須の名は外人を意味するエビスの言葉と別のものでなく,本来は異郷から来臨して人々に幸福をもたらすと信じられた神で,いわゆる寄り物,寄神(よりがみ),客神(まろうどがみ)の信仰に根ざす神である。一般に恵比須に鯛を抱いた福々しい相好の神像となっているが,鯨を恵比須と呼んで崇敬する風は全国的で,サメやイルカをそう呼ぶところもある。魚群を岸近くに追い寄せてくれる大海魚獣が漁をもたらせてくれると信じたのである。だが恵比須は田の神,山の神として信仰されるところもある。また市神としても信仰され,都市では福利を招来する神として広い地盤をもっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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