社伝によれば、和銅二年(七〇九)の草創といい、「改暦雑事」には和銅四年とある。本殿背後の御影山は神体山として古くから崇められ、境内山麓には横穴式石室をもつ後期古墳があり、奈良時代以前より御影山を中心とした祭祀信仰があったことが推測される。神位は貞観一四年(八七二)従四位上・元慶四年(八八〇)正四位下(三代実録)、延喜一〇年(九一〇)正四位上(日本紀略)、正応五年(一二九二)正一位(実兼公記)と進んでいる。
「貞信公記」承平元年(九三一)五月二五日条には、丹波の「出雲神社使」のことが太政官に報告されている。「左経記」万寿二年(一〇二五)七月一日条には「炎旱日久、農業可損之由間事聞、仍自明日、以九口僧、於出雲御社、可修不断大般若読経之由、遣仰留守所、又自国上洛下人令申云、昨日暮立快下、田畠豊潤者、弥可祈年穀之由、重又遣仰留守所之」と記され、雨乞のため当社で大般若経転読をしている。
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京都府亀岡市千歳町出雲に鎮座。旧国幣中社。大国主命,三穂津姫(みほつひめ)命をまつる。創建についてはつまびらかではないが古くは千年山(御蔭山,御影山)と呼ぶ神体山を中心にまつり,709年(和銅2)に社殿をはじめて造営したと伝える。一説には,島根県の出雲大社を勧請したともいい,逆に当社の祭神を移遷したのが出雲大社だとも伝え,俗に元出雲ともいわれる。延喜の制では国幣の名神大社に列し,丹波国の一宮として,また中世には蓮華王院(三十三間堂)の御領とも関連して社勢が盛んであった。現社殿は南北朝時代の特殊建築で重要文化財。例祭は10月21日。ほかに1月15日の粥占(かゆうら)祭,4月18日の花鎮祭がある。
執筆者:加藤 隆久
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京都府亀岡(かめおか)市千歳(ちとせ)町出雲に鎮座。俗に元出雲(もといずも)といわれ、また千年山(ちとせやま)(御蔭(みかげ)山、御影山)を神体山にもつので千年宮(ちとせぐう)ともいう。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))と三穂津姫命(みほつひめのみこと)とされるが、異説もある。社伝によれば、崇神(すじん)天皇の代に鎮座、元明(げんめい)天皇の709年(和銅2)に社殿を創建したという。818年(弘仁9)名神(みょうじん)にあずかり、845年(承和12)従(じゅ)五位下、910年(延喜10)正四位上に昇位した。『延喜式(えんぎしき)』では「丹波(たんば)国桑田郡出雲神社」として名神大社に列し、丹波国一宮(いちのみや)として栄えた。旧国幣中社。本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、国の重要文化財。例祭10月21日。4月18日の花祭には風流花踊(ふりゅうはなおどり)が奉納される。
[菟田俊彦]
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