前田遺跡(読み)まえだいせき

日本歴史地名大系 「前田遺跡」の解説

前田遺跡
まえだいせき

[現在地名]土成町吉田 牛屋谷、土成 前田

宮川内谷みやごうちだに川と九頭宇谷くずうだに川によって形成された複合扇状地上、標高七三―七六メートルに所在する。周辺には北原きたはら遺跡・土成前田どなりまえだ遺跡などの弥生時代を中心とした集落遺跡が存在している。平成二年(一九九〇)から翌三年にかけて、四国縦貫自動車道建設に伴う発掘調査が一万八一〇平方メートルを対象に実施された。遺跡の存続時期は旧石器時代から近世までと長期にわたっている。遺構は縄文時代から中世にかけてのものが同一の面で検出されており、おもな遺構は弥生時代が竪穴住居跡・掘立柱建物跡、中世は掘立柱建物跡・鍛冶遺構などがある。


前田遺跡
まえだいせき

[現在地名]河原町郷原

千代川右岸沖積地に立地した中世の集落遺跡。昭和五八年(一九八三)圃場整備事業に伴って発掘調査が行われ、おもな遺構として約三〇棟の掘立柱建物跡と二基の井戸を検出。その大半が一五世紀から一六世紀にかけてのものと推定された。掘立柱建物には大小があり、最大のものは一一・九×七・三メートル。建物に建替えが行われた形跡が残されていることなどから、大規模な建物を母屋とし、数棟を一単位として屋敷を形成していたらしい。


前田遺跡
まえだいせき

[現在地名]太宰府市向佐野

背振せふり山塊の北東裾の緩傾斜面にあり、弥生時代前期と後期・終末期の集落が重複する。さらに路面幅約一一メートルの古代の官道が遺跡を貫いている。昭和六三年(一九八八)以降に行われた調査で、直径三〇メートル強の規模で環状に展開する弥生前期の集落が出た。住居は方形プランで小規模な土坑と袋状貯蔵穴とが組合されている。集落の北東に梁行六・六メートル、桁行三・八メートルの二間×一間の掘立柱建物跡がある。


前田遺跡
まえだいせき

[現在地名]船引町北鹿又

阿武隈高地のうつしヶ岳山麓の小平坦地にある縄文時代中期の集落跡。県指定史跡。以前から遺物が出土することは知られていたが、昭和四二年(一九六七)に発掘調査が行われ炉跡群・竪穴住居跡・敷石住居跡・土坑墓などが検出され、土器多数のほか石斧・石鏃石皿・スタンプ状土製品などが出土した。とくに環状列石は確実なものとしては県内最初の例で、大石で構築された直径約五〇メートルの大サークルの中に幾つかの不整形の小サークルがある。


前田遺跡
まえだいせき

[現在地名]小淵沢町下笹尾 前田

八ヶ岳南麓の縄文時代中期と平安時代の集落跡。広い谷の中に半島状に突き出した台地上の遺跡で、昭和五七年度と同五九年度の二度にわたり、県営圃場整備のために発掘調査が行われた。縄文時代中期の土坑二基、平安時代の住居跡一二軒、掘立柱建物跡五棟、土師器焼成遺構二基、配石坑などが発見された。


前田遺跡
まえだいせき

[現在地名]白鳥町前谷

前谷まえだに集落の南端、長良川支流前谷川の左岸段丘上、標高五〇〇メートルに位置。発掘調査は行われていない。表採によって縄文時代中期末に属する数点の土器のほか石器六三六点が収集され、県の重要文化財に指定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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