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北大路魯山人 きたおおじ ろさんじん

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美術人名辞典の解説

北大路魯山人

陶芸家・篆刻家・料理研究家・書家・画家。京都生。名は房次郎、魯山人は号。日本画家を志してその費用を書・篆刻で得、やがてそれを本業とする。大正8年大雅堂美術店を開き、10年に美食倶楽部を、14年には星岡茶寮を営み、料理に適した食器を求めて昭和の初めから作陶を試みる。昭和11年以降は陶芸に専心。多種の技法に通じ、様々な古陶を再現しつつ自由な作風を示した。昭和34年(1959)歿、76才。

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デジタル大辞泉の解説

きたおおじ‐ろさんじん〔きたおほぢ‐〕【北大路魯山人】

[1883~1959]陶芸家。京都の生まれ。本名、房次郎。別号に魯卿・無境・夢境など。書・篆刻(てんこく)もよくした。料理に通じ、食器用に斬新な意匠の陶磁器を製作。

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百科事典マイペディアの解説

北大路魯山人【きたおおじろさんじん】

陶芸家。本名房次郎。京都生れ。初め日本画を志したが,版下書きとして独立,さらに篆刻(てんこく),古美術,料理,陶芸に興味をもつ。1925年東京に会員制の高級料亭〈星岡茶寮(ほしがおかさりょう)〉を開き,美食家として名をはせた。
→関連項目足立美術館荒川豊蔵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北大路魯山人 きたおおじ-ろさんじん

1883-1959 大正-昭和時代の陶芸家。
明治16年3月23日生まれ。生家は京都上賀茂神社の社家。書と篆刻(てんこく)で身をたて,古美術,陶芸,料理を研究する。大正14年東京麹町に料亭星岡(ほしがおか)茶寮をひらく。のち鎌倉の星岡窯で食器制作をはじめ,志野,備前,織部などの技法をいかした豪放な作風で知られた。昭和34年12月21日死去。76歳。本名は房次郎。
【格言など】食器は料理のきものである(「魯山人味道」)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

きたおおじろさんじん【北大路魯山人】

1883‐1959(明治16‐昭和34)
陶芸家。京都上賀茂生まれる。本名房次郎。誕生直後から愛情のない養父母のもとを転々とする。はじめ書家,篆刻(てんこく)家として名をなし,食客として長浜,京都,金沢などに逗留,各地で料理の研究もする。1925年東京赤坂山王台に同郷の友中村竹四郎と会員制の高級料亭〈星岡茶寮(ほしがおかさりよう)〉を開設,顧問兼料理長として天下に美食家の名をはせる。27年北鎌倉に星岡窯と住居を建設,荒川豊蔵などを招いてみずから食器の制作に専念する。

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大辞林 第三版の解説

きたおおじろさんじん【北大路魯山人】

1883~1959) 陶芸家。京都生まれ。本名、房次郎。料理研究のかたわら食器製作を始め、多彩で斬新な陶器を作製。書・篆刻てんこくにも天分を発揮。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北大路魯山人
きたおおじろさんじん

[生]1883.3.23. 京都,京都
[没]1959.12.21. 神奈川,横浜
陶芸家,書家。本名は房次郎。賀茂別雷神社社家の家柄に生まれるが,すでに父は亡く,養子先を転々として幼年時代を送った。当初は画家志望であったが,篆刻(てんこく),日本画の分野で才能を認められ,1921年東京に美術店を構えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北大路魯山人
きたおおじろさんじん
(1883―1959)

陶芸家、書家。本名房次郎。明治16年3月23日、京都・上賀茂(かみがも)神社の社家(しゃけ)の次男に生まれる。初め西洋看板のペンキ屋を開く。1904年(明治37)東京に移り、同年11月、日本美術展覧会に千字文(せんじもん)の書を出品して一等賞を受け、以後書に打ち込み、29歳からは篆刻(てんこく)も習い始めた。陶芸に手を染めたのは15年(大正4)からであるが、19年には古美術商を営み、翌年春にはそのかたわら会員制の「美食倶楽部(くらぶ)」を発足させ、さらに25年には東京麹町(こうじまち)の星岡(ほしがおか)茶寮の顧問兼料理長として料理・食器の演出に携わるなど、天衣無縫の生活を続け、美的生活に耽溺(たんでき)していった。生涯のなかで書と陶磁器にとりわけ鬼才を発揮した彼は、専門陶工ではない趣味人ならではの当意即妙な意匠の世界に新境地を開いた。しかし基本的には、中国・朝鮮・日本の古陶磁の様式の範囲を離れるものではなかった。窯は北鎌倉の山崎に築き(1926)、星岡窯と称した。昭和34年12月21日死去。[矢部良明]
『『魯山人著作集』全2巻(1980・五月書房) ▽吉田耕三編著『現代日本陶芸全集2 北大路魯山人』(1980・集英社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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