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平安末~鎌倉初期の廷臣,歌人。摂籙(せつろく)家九条兼実の子として生まれ,左大臣を経て従一位摂政太政大臣に昇る。和歌を藤原俊成に学び,建久期前半(1190-97)には,歌壇を主宰して定家ら新風歌人の庇護者となり,《花月百首》や《六百番歌合》を開催。建久7年(1196)の政変により一時籠居したが,のち政界に復帰し,後鳥羽院歌壇においても中心人物として《新古今集》編纂に貢献した。仮名序を執筆し,巻頭歌作者となっている。漢詩を摂取した,独特の清澄高艶の歌風に見るべきものがある。《新古今集》竟宴の翌年,急逝。家集に《秋篠月清(あきしのげつせい)集》があり,《千載集》以下の勅撰集に313首入集。また,書にもすぐれた才能を発揮し,〈後京極流〉の始祖となる。〈般若理趣経〉(仁和寺)や,数通の書状類のほか,〈佐竹本三十六歌仙切〉〈紫式部日記絵巻詞書〉〈豆色紙〉〈和漢朗詠集切〉などの筆跡を残した。
執筆者:上条 彰次
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…《源氏物語》以降の物語が《栄華物語》のような歴史物語をも含めて,すべてその強大な影響力を受けていることは今さらいうまでもなく,特に鎌倉時代の擬古物語では,用語の末々まで模していることが多い。歌壇もまたその影響は免れず,平安末期には〈源氏に寄する恋〉という歌題ができて多くの歌が詠まれており,藤原俊成の〈源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり〉とか藤原良経の〈紫式部が源氏,白氏が文集,身に添へぬ事はなし〉などの賛辞が続いた。こうした人々の中から〈物語沙汰する人〉,つまり研究者が現れた。…
…日本書道の流派の一つ。後京極殿とは鎌倉時代の摂政太政大臣で詩歌その他諸芸に通じ書道に名を得た藤原(九条)良経(1169‐1206)の呼称であり,彼を祖とする。しばしば絵巻の詞書を書くのに用いられた角の顕著なかたい書風。…
…10巻。後京極摂政とよばれた藤原(九条)良経(1169‐1206)が類聚。年々の大間書(おおまがき)(欠員の官を列記し,除目のときに任官者を記入する文書)を集めて,例えば年給,成功(じようごう),官司等の挙奏,巡任,兼国など任官の事由によって詳細に分類したもの。…
…1193年(建久4)秋より左大将藤原良経邸で披講された歌合で,完成は翌年か。《後京極殿百首歌合》《左大将家百首歌合》ともいう。…
※「藤原良経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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