南さつま(読み)ミナミサツマ

デジタル大辞泉 「南さつま」の意味・読み・例文・類語

みなみさつま【南さつま】

鹿児島県薩摩半島の南西部にある市。焼酎しょうちゅう醸造・製菓・水産加工業や農業が盛ん。平成17年(2005)11月加世田かせだ市・笠沙かささ町・大浦町坊津ぼうのつ町・金峰町が合併して成立。人口3.9万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「南さつま」の意味・わかりやすい解説

南さつま[市] (みなみさつま)

鹿児島県薩摩半島南西部の市。2005年11月加世田(かせだ)市と大浦(おおうら),笠沙(かささ),金峰(きんぽう),坊津(ぼうのつ)の4町が合体して成立した。人口3万8704(2010)。

南さつま市西部の旧町。旧川辺(かわなべ)郡所属。人口2991(2000)。薩摩半島から東シナ海に突き出る野間半島の付け根に位置する。東に長尾山,南に磯間嶽,西に入谷・亀ヶ丘の連山と三方を山に囲まれ,その間を大浦川が北流して東シナ海に注ぐ。遠浅の大浦湾では,1963年に県営越路干拓事業,65年に国営大浦干拓事業が完工した。基幹産業は農業で,〈走り新茶日本一〉として知られる茶の栽培のほか,ポンカン,畜産にも力が注がれている。亀ヶ丘は東シナ海,南薩地域を望む景勝地で,また鹿児島~沖縄を結ぶ極超短波無線中継所が設置されている。近年人口の減少が著しい。

南さつま市西端の旧町。旧川辺郡所属。人口3838(2000)。薩摩半島から突出した野間半島の大部分を占め,宇治群島草垣群島を含む。東シナ海に面する北部と南部はリアス式海岸をなし,景色がよい。ほとんど平地がなく,山地斜面では階段耕作がみられる。古くから海上交通の要所を占め,江戸時代には異国船監視のための薩摩藩の遠見番所が置かれ,片浦港には船舶の出入りを改める津口番所も置かれた。片浦・野間池両港は現在は漁港となり,沿岸・沖合漁業が行われ,特に宇治群島周辺の漁業開発,ブリ餌付漁業に力が注がれている。耕地が少ないことから,古くから出稼ぎが多く,特に焼酎造りの杜氏は有名。永く陸の孤島として交通が不便であったが,1973年半島一周道路が完成した。また県内でも最も過疎化の激しい地域の一つである。一帯は坊野間県立自然公園に属し,野間岳中腹に海上交通の守護神野間神社がある。
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南さつま市東部の旧市で,万之瀬(まのせ)川河口南岸にある。1954年加世田町,万世(ばんせい)町が合体,市制。人口2万4187(2000)。山地,台地が広く,平野は万之瀬川とその支流の沿岸に限られるが,古くから地方の中心で,中世にここを本拠とした島津忠良は島津家中興の祖として竹田神社にまつられている。市名の起りは《古事記》《日本書紀》の天孫降臨のくだりにある地名〈笠狭(かささ)〉だといわれる。産業別所得としては商業,サービス業が最も多い地方中心都市であるが,焼酎,化学(クエン酸製造),人造宝石研磨などの工業も盛んであり,また九州各地に販路を持つ製パン業もある。農業は就業人口から見れば重要であり,米,タバコ,茶のほか,果物(ミカンなど),野菜(砂丘地のカボチャ,ラッキョウ)などが増加している。海岸地域の旧万世町は漁業が盛んで,特にちりめんじゃこは有名である。1914年南薩鉄道が開通,鹿児島本線伊集院駅を経由して鹿児島市と結ばれていたが,南薩鉄道は64年に鹿児島交通枕崎線となり,84年に廃止された。
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南さつま市北東部の旧町。旧日置郡所属。人口8237(2000)。薩摩半島中央部に位置し,北東は鹿児島市に接する。東部は山地で,西に向かってシラス台地沖積低地吹上浜海岸砂丘と続く。海岸は吹上浜県立自然公園に属し,金峰山が町の中央にある。堀川,境川などが作った沖積低地の早期米作を中心に,台地上ではカンショ,タバコの栽培などが行われ,ハウス野菜の生産にも力が注がれている。市街地は未発達で,南隣の旧加世田市の商圏に属している。藩政時代は〈阿多タンコ〉と呼ばれる桶職人として出稼ぎに出る者が多かったが,現在は県内の製茶工場で働く者が多い。弥生前期の高橋貝塚がある。

南さつま市南西部の旧町。旧川辺郡所属。人口4726(2000)。薩摩半島南西端に位置し東シナ海に臨む。那津,安濃津とともに三津(さんしん)といわれた坊津を中心とする。坊(かつての坊津),泊,久志(くし),秋目の4港はいずれもリアス式海岸に発達した天然の良港で,貿易が衰微した明治以降は漁港に転換した。現在は沿岸漁業や,タイ,クルマエビの養殖漁業が行われている。温暖で無霜のため,ポンカンや野菜の促成栽培,グラジオラス栽培も盛んである。海岸は坊野間県立自然公園に属する。秋目にはソテツ自生地(特天),鑑真上陸地の記念碑がある。
執筆者:

名称は,百済の僧日羅が創建したと伝える真言宗一乗院が三所に坊舎を建て,上坊,中坊,下坊と呼んでいたことによるという。海外とのつながりが多く,〈唐湊(からのみなと)〉とも呼ばれる。遣唐使船の航路に,九州沿岸を南下し種子,屋久,吐噶喇(とから),奄美,沖縄と島伝いに航行し,揚子江沿岸へ行く南島路があり,記録上は坊津は登場しないが,九州最南端に位置し,停泊に適した地勢からみて,坊津も利用されたと考えられてきた。中世に入ると倭寇関係の記事が伝わっており,島津氏により坊津は中国,朝鮮,琉球,東南アジアとの貿易に利用された。戦国時代後期以降,南蛮貿易では重要な港となり,織田氏や細川氏の購入した壺は,ルソンから坊津を経由している。その後島津氏の藩政下では,領内一の良港として藩の行う海外貿易の基地となった。それに従事した森吉兵衛ら著名な廻船業者が知られている。18世紀以降カツオ漁業の基地としても知られ,幕末・明治初期が最盛期だった。また1594年(文禄3)には前左大臣近衛信尹(のぶただ)が坊津へ配流され,2年後赦免されるまで逗留したので,関連した史跡がある。
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