旧環濠の南堀に架かる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府堺市にある臨済宗大徳寺派の寺。竜興山と号する。1556年(弘治2)三好長慶が前大徳寺住持の大林宗套(だいりんそうとう)を開山に迎えて創建。その後,大徳寺派重鎮の禅僧が歴代住持となり,堺町衆の中に大徳寺の禅が浸透する拠点となった。1574年(天正2)松永久秀に焼かれ,1615年(元和1)大坂夏の陣の兵火で焼失,のち沢庵の努力で現寺地に復興。そのため沢庵を当寺中興の祖と仰ぐ。近世の寺領110石,堂々とした伽藍整備も成ったが,第2次大戦で仏殿と山門などを残して炎上し,近時復興した。わび茶との関係が深く,庭園は古田織部の作と伝えて,泉石の配置の妙で知られ,千利休遺愛の手水鉢もある。また境内には利休のわび茶の師武野紹鷗(たけのじようおう),利休の一門,連歌師の牡丹花肖柏(ぼたんかしようはく)など,錚々たる堺の町衆文化人の墓がある。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大阪府堺(さかい)市南旅籠(みなみはたご)町にある臨済(りんざい)宗大徳寺派の寺。山号は竜興(りゅうこう)山。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1526年(大永6)京都大徳寺75世古岳宗亘(こがくそうせん)の草創した南宗庵(あん)を、1556年(弘治2)に武将三好長慶(みよしながよし)が父の菩提(ぼだい)所とするため現地に移建し、開山は宗亘の弟子大林宗套(だいりんそうとう)である。当初は仏殿、山門、総門、大塔、法堂など堂舎完備したが、1574年(天正2)松永久秀(ひさひで)の乱入のため過半を焼失、さらに1615年(元和1)大坂夏の陣にふたたび兵火にかかり全焼。1619年第4世沢庵宗彭(たくあんそうほう)が岸和田藩主小出(こいで)吉英らの支援を受け、堂宇を再興し中興開山となった。徳川氏の外護(げご)により一時旧観に復したが、やがて寺運は衰微する。仏殿、甘露(かんろ)門は府指定文化財。有名な天文(てんぶん)版論語の版木を蔵する。
当寺は茶人との関係が深く、境内には武野紹鴎(たけのじょうおう)・千利休(せんのりきゅう)の供養塔、利休好みの茶室と伝えられる実相(じっそう)庵がある。また、古田織部(ふるたおりべ)作の枯山水の庭園も名高い。
[平井俊榮]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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