南房総(読み)ミナミボウソウ

デジタル大辞泉 「南房総」の意味・読み・例文・類語

みなみぼうそう〔みなみバウソウ〕【南房総】

千葉県南端にある市。漁業が盛んで、和田地区には関東唯一の捕鯨基地がある。館山市を取り囲むように形成され、同市とのつながりが深い。平成18年(2006)3月富浦町富山町三芳村白浜町千倉町丸山町和田町が合併して成立。人口4.2万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「南房総」の意味・わかりやすい解説

南房総[市] (みなみぼうそう)

千葉県南部の市。2006年3月白浜(しらはま),千倉(ちくら),富浦(とみうら),富山(とみやま),丸山(まるやま),和田(わだ)の6町と三芳(みよし)村が合体して成立した。人口4万2104(2010)。

南房総市南端の旧町で,太平洋に臨む。旧安房あわ)郡所属。人口5589(2005)。海岸段丘がよく発達し,その背後には100mに及ぶ海食崖が連なる。無霜地帯の特性をいかして露地栽培の花卉,野菜の生産が盛んであるが,近年はビニルハウスや温室による施設園芸がふえている。海女による潜水漁業が行われ,アワビサザエイセエビなどを採取する。1869年(明治2)初点灯の野島埼灯台を中心に,白浜フラワーパークなどの観光施設があり,南房総でも有数の観光地となっている。ホテル,旅館など宿泊施設も多い。海岸部は南房総国定公園に含まれ,観光道路フラワーラインが館山市洲崎(すのさき)から野島崎まで通じる。

南房総市南部の旧町で,太平洋に臨む。旧安房郡所属。人口1万2381(2005)。町域の大部分は丘陵で,海岸近くまで丘陵が迫り,海岸段丘,岩石海岸を形成する。戦国時代から安房七浦と呼ばれた漁村地帯で,千倉港をはじめ大小八つの漁港があり,サバ,サンマ漁を中心とする沖合漁業が盛ん。海女による潜水漁業も行われ,アワビ,サザエ,イセエビなどを採取する。海岸段丘上では温暖な気候をいかして冬季も花卉の露地栽培が行われる。海岸部は南房総国定公園に含まれ,第2フラワーラインが通じ,旅館や民宿も多い。料理の神をまつる高家(たかべ)神社,ささら踊で有名な白間津の日枝神社がある。JR内房線が通る。

南房総市北西部の旧町で,東京湾に臨む。旧安房郡所属。人口5451(2005)。丘陵が海岸近くまで迫り,大房(たいぶさ)岬が東京湾に突出する。農業はビワと花卉栽培が中心。江戸時代後期に南無谷(なむや)を中心に導入されたビワは,明治中期に品種・技術の改良が進み長崎と並ぶ産地になった。南房総国定公園に含まれる海岸部は海水浴場としても知られ,民宿も多い。JR内房線,国道127号線が通じる。

南房総市北端の旧町で,東京湾に臨む。旧安房郡所属。1955年岩井町と平群(へぐり)村が合体,改称。人口5751(2005)。町域は東西に細長く,中央部に《南総里見八犬伝》で知られる富山(とみさん)があり,町名もこれにちなむ。東部は館山湾に注ぐ平久里(へぐり)川の上流域で盆地状をなす。産業の中心は農業で,平群では酪農が盛ん。沿岸部ではビワ,花卉,野菜などの栽培が行われる。海岸部は南房総国定公園に含まれ,遠浅で波静かな岩井海岸は内房を代表する海水浴場として知られ,大正期から臨海学校を中心に海水浴客でにぎわっている。JR内房線,国道127号線が通じる。

南房総市中北部の旧町。旧安房郡所属。人口5440(2005)。丸山川流域を占め,北部は丘陵,南部は館山地溝帯東部にあたり水田が広がる。酪農を中心に米作,パセリ,ショウガなどの栽培を行う。1978年,丸山川上流に農耕用水用の安房中央ダムが建設された。北部の愛宕山中腹には〈日本酪農発祥の地〉として知られる嶺岡牧場の後身,千葉県嶺岡乳牛試験場(現,千葉県畜産総合研究センター嶺岡乳牛研究所)があり,種牛の改良,増殖を行っている。国道128号線が町域南部を横切る。行基の開山と伝える石堂寺の本堂,薬師堂,木造十一面観音立像,境内にある江戸中期の農家の遺構を示す旧尾形家住宅は重要文化財に指定されている。1960年代以降人口減少が続いており,過疎地域に指定されている。

南房総市中部西寄りの旧村。旧安房郡所属。人口4656(2005)。館山市の北に接し,館山湾に注ぐ平久里川と支流の山名川の流域を占める。古代に安房国府が置かれたところで,条里制の地割りも残る。産業の中心は農業で,水田と酪農の複合経営が普及し,パセリなどの野菜生産も行われる。近年は花卉,イチゴ,キュウリなどの施設園芸も増えている。

南房総市北東部の旧町。旧安房郡所属。人口5495(2005)。東は太平洋に臨み,町域の中央から北部は房総丘陵が占める。中心集落の和田には漁港があり,沿岸漁業や三陸方面への近海漁業の根拠地となっている。冬季でも温暖な気候を利用して,第2次大戦前から花卉の露地栽培が行われてきたが,近年はビニルハウスやガラス温室がふえ,カーネーション,ストックなどを東京市場に出荷する。酪農も戦前から行われ,牛乳工場もある。海岸部は南房総国定公園に含まれ,JR内房線,国道128号線が通じる。1960年代以降人口減少が続き,過疎地域に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南房総」の意味・わかりやすい解説

南房総(市)
みなみぼうそう

千葉県南部、房総半島にある市。2006年(平成18)、安房(あわ)郡富浦町(とみうらまち)、富山町(とみやままち)、白浜町(しらはままち)、千倉町(ちくらまち)、丸山町(まるやままち)、和田町(わだまち)、三芳村(みよしむら)が合併して市制施行、南房総市となった。市名は房総半島南部をさす広域地名南房総からとった。しかし、当市を含む安房地域の地理的・経済的な中心は南接する館山(たてやま)市で、とくに商業、医療面などは同市に依存。ただし和田地区は北接する鴨川市との結びつきが強い。西は浦賀水道、東から南は太平洋に臨む。JR内房線は市域西部の海岸沿いを南下して館山市域に入り、内陸部を横断、千倉から東部の海岸沿いに北上して鴨川市域に抜ける。西部海岸線を国道127号が、その内陸側を富津館山道路が通じ、富浦インターチェンジがある。南部、東部には国道410号、128号(外房黒潮ライン)が通る。

 市内の府中(ふちゅう)には古代の安房国府が置かれたと推定される。平安時代中期から末期、丸山(まるやま)川沿いに開けた河岸段丘や沖積平野は源氏の所領で、1159年(平治1)源頼朝の昇進を祈念して伊勢神宮へ寄進され、丸御厨(まるのみくりや)が成立。同御厨の開発領主とみられる丸氏は、丸本郷(まるほんごう)の丸城に拠り、室町―戦国期には里見氏の配下として活躍。また岡本(おかもと)川河口右岸の海にせり出した尾根の先端、富浦町原岡(はらおか)には里見氏の本城、岡本城があった。岡本城跡は館山市稲の稲村城跡とともに里見氏城跡として国指定史跡。

 現在、西部海岸の富浦漁港、高崎漁港、東部海岸の千倉漁港、和田漁港、白子漁港、野島漁港などでの漁業が盛ん。カツオ、サバ、カジキマグロ漁、アワビ、サザエや海藻類の採取、タイ、ハマチの養殖などが行われる。内陸部ではビワ、メロン、柑橘類、花卉(かき)類の栽培、酪農などが主。房州ビワの発祥地とされる富浦町地区では江戸後期には仲買を通じて江戸に運び、販売していたという。海岸部は南房総国定公園に指定され、海水浴客などを対象とする民宿経営も盛ん。面積230.12平方キロメートル、人口3万5831(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「南房総」の意味・わかりやすい解説

南房総[市]【みなみぼうそう】

千葉県南部,房総半島南端に位置する市。市南部は南房総国定公園に属する。2006年3月,安房郡富浦町,富山町,白浜町,千倉町,丸山町,和田町,三芳村が合併し市制。JR内房線,国道128号線,410号線が通じる。230.14km2。4万2104人(2010)。

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