吉野山
「続日本紀」文武天皇二年(六九八)四月二九日条に「奉馬于芳野水分峯神、祈雨也」とあり、承和七年(八四〇)一〇月従五位下(続日本後紀)、天安三年(八五九)一月正五位下を授位(三代実録)。後醍醐天皇の延元二年(一三三七)には正二位の神階を授けられた(神社明細帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県吉野郡吉野町に鎮座。旧村社。天之水分大神ほか5神をまつる。水分神は流水を分配することをつかさどる神で,この神をまつった神社は諸国にあり,朝廷が豊年を祈請した。吉野水分神社は吉野首(おびと)の祖神で,《延喜式》神名帳にも記載されている。後世〈みくまり〉が訛(なま)って〈みこもり〉といわれ,子守明神に結びついて,子育ての神として信仰された。木像の玉依姫命座像は国宝。例祭は10月16,17日。
執筆者:加藤 隆久 社殿は,中庭を囲って,北に楼門とその両側に付く翼廊,西の一段高いところに本殿,南に幣殿,東に拝殿が配置されている。これらの社殿は1604年(慶長9)豊臣秀頼によって再興された。本殿は桁行9間,梁間2間の流造(ながれづくり)の形式をとり,正面に千鳥破風を三つ並べるが,本来は中央に一間社春日造,この両側に三間社流造が配置されていたのを相の間を設けて連結し,一つの屋根に納め,両側の流造に千鳥破風をつけたのであって,現在も各社殿ごとに別々の茅負(かやおい),木負(きおい),軒付をもっている。組物,虹梁,長押(なげし)などに極彩色をほどこし,蟇股(かえるまた),木鼻などに桃山時代の特徴をよく表している。
→神社建築
執筆者:宮沢 智士
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奈良県吉野郡吉野町吉野山に鎮座。天水分命(あまのみくまりのみこと)ほか六神を祀(まつ)る。7世紀末以来、朝廷から祈雨(きう)の奉幣を受けた記録がある。『延喜式(えんぎしき)』には祈雨神八五座の一に列し、名神(みょうじん)大社でもある。859年(貞観1)正(しょう)五位下(げ)を奉叙された。本来は水の配分をつかさどる神であるが、のちミクマリをミコモリと訛(なま)り、子守明神と称されたように、子育ての神あるいは安産の神とする信仰が生じた。本殿、幣殿、拝殿、楼門、回廊などからなる社殿は、1604年(慶長9)に豊臣秀頼(とよとみひでより)が再建したもので国の重要文化財に指定されている。木造の玉依姫坐像(たまよりひめざぞう)は鎌倉期の作で国宝である。例祭は10月第三土曜日。
[熊谷保孝]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…《古事記》には〈天之水分神〉〈国之水分神〉として見えている。《延喜式》神名帳には,大和国(奈良県)に葛木(かつらぎ)水分神社,吉野水分神社,宇太(うだ)水分神社,都祁(つげ)水分神社が,河内国(大阪府)に建(たけ)水分神社,摂津国住吉郡(大阪府)に天水分豊浦命神社が記載されている。《延喜式》によると神祇官が執行する四時祭の祈年(としごい)祭と月次(つきなみ)祭や臨時祭の祈雨神祭(きうしんさい)には,大和国の葛木,吉野,宇太,都祁の四つの水分神社に奉幣や馬の奉納があった。…
※「吉野水分神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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