三重県中西部、上野盆地の南西部に位置する市。1954年(昭和29)名賀(なか)郡名張町と箕曲(みのわ)、滝川(たきかわ)、国津(くにつ)の3村が合併して市制施行。地名は古代からの郡名・郷名により、ナバルは隠れるの意で、山間の隠れた地がその由来というが定説はない。近畿日本鉄道大阪線、国道165号、368号が通じる。西流して大阪湾に注ぐ淀(よど)川水系木津川上流の名張川と支流の宇陀(うだ)川の合流点一帯に沖積地が広がり、上野盆地内に名張盆地とよぶ盆地内盆地を形成し、市街はほぼその中心にある。盆地北西部は標高約500メートルの大和(やまと)高原が張り出して伊賀市との境をなし、南端には奈良県との境をなす標高約1000メートルの室生火山群(むろうかざんぐん)が連なる。古代から大和と伊勢(いせ)を結ぶ陸路の要衝で、古代は駅家が置かれ、近世は名張藤堂(とうどう)家の陣屋町、また参宮街道(初瀬街道)の宿場町として栄えた。電車で大阪まで約1時間の距離にあり、昭和30年代後半から大規模住宅団地開発が進み大阪の郊外住宅地化が著しく、1985~2000年(平成12)の15年間に人口は約2万6000人増加した。1997年(平成9)に市立病院が開院、1998年には皇学館大学名張キャンパスが開校した(2011年閉鎖)。「伊賀米」を産し、ブドウ、イチゴなどの観光農園もある。また、八幡、滝之原などの工業団地が造成されている。南端の山麓(さんろく)には赤目四十八滝(あかめしじゅうはったき)、香落渓(こおちだに)、青蓮寺(しょうれんじ)湖などの景勝地があり、室生赤目青山国定公園の一部となっている。美旗(みはた)古墳群、夏見(なつみ)廃寺跡は国指定史跡。国の特別天然記念物のオオサンショウウオの生息地がある。面積129.77平方キロメートル、人口7万6387(2020)。
[伊藤達雄]
『『名張市史』全2冊(1960、1961・名張市)』▽『中貞夫著『名張市史』(1974・名張市)』
三重県西端,伊賀盆地南部を占める市。1954年名賀郡名張町と滝川,箕曲(みのわ),国津の3村が合体,市制。人口8万0284(2010)。市域の大半は山地であるが,木津川上流の名張川と宇陀川の合流点に形成された狭少な低地に旧市街地が位置する。《日本書紀》に隠(なばり)駅家とあるように,古代から南大和と伊勢を結ぶ街道の宿駅として機能し,また江戸時代には津藩藤堂家の分家の居館を中心に,小城下町的体裁も整えた。1930年に大阪と伊勢を結ぶ参宮急行(現,近鉄大阪線)が開通したが,長らく農村地域の小中心,木材の集散・加工地にとどまっていた。しかし60年代後半から周辺台地や丘陵地に相ついで民間の大型住宅団地や公営の工業団地が建設され,人口は75-80年に県下13市で最大の伸び(27%)を記録した。その多くは大阪への通勤者である。室生赤目青山国定公園の玄関口に当たり,赤目四十八滝や香落渓(こおちだに)への観光客が多い。
執筆者:成田 孝三
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