四国中央(市)(読み)しこくちゅうおう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

四国中央(市)
しこくちゅうおう

愛媛県の東端にある市。2004年(平成16)に川之江市(かわのえし)、伊予三島市、宇摩(うま)郡の土居町、新宮村が合併して成立(宇摩郡は消滅)。北は瀬戸内海の燧(ひうち)灘に臨み、東は香川県と徳島県に接し、南は石鎚(いしづち)山脈を隔てて高知県。石鎚山脈と北側にある支脈法皇(ほうおう)山脈の間を銅山(どうざん)川がほぼ東流し、北部では金生(きんせい)川が北西方に流れて燧灘に注ぐ。法皇山脈の北を嶺北、南を嶺南とよぶ。JR予讃線、国道11号、192号、319号が通じる。松山自動車道の三島川之江インターチェンジ・土居インターチェンジ、高知自動車道の新宮インターチェンジ、松山自動車道、高松自動車道、高知自動車道の川之江ジャンクション、高知自動車道と徳島自動車道の川之江東ジャンクションがある。
 土居町地区は早くから開けていたとみられ、縄文時代後期の藤原縄文遺跡があり、弥生時代の立石(たていし)遺跡からは中広形銅矛、大地山(おおじやま)遺跡からは石剣が出土した。旧川之江市地区は金生川流域に弥生時代、古墳時代の遺跡が多く、弥生時代の中広形銅矛、平形銅剣が出土している。横穴式石室に金環金銅透彫帯冠などが収められた東宮山古墳、四国最大級の2基の横穴式石室を有する宇摩向山古墳(国指定史跡)など多数の古墳が分布する。
 旧川之江市地区は讃岐・阿波・土佐の国と伊予国を結ぶ要衝の地で、古代には伊予国府と土佐国に到る官道が現市域を通った。新宮町地区では古来阿波に通じる銅山川と土佐への道が交差し、13世紀の年紀をもつ神鏡が出土している。中世には川之江城などで攻防が繰り返された。江戸時代初期の一時期は川之江に川之江藩一柳氏の陣屋があり、宇摩郡などを支配した。以降は西条藩領、今治藩領、幕府領などに分かれ、川之江には幕府領支配のための代官所が置かれた。川之江は土佐への道、金毘羅(こんぴら)道が通り、本陣や商家が軒を連ねた。新宮町の土佐道に沿う馬立(うまたて)にも本陣跡が残る。金生川河口の川之江湊は漁業や廻船業で繁栄し、近辺の年貢米が別子銅山の用米として新居浜に送り出された。
 近世からの伝統を引く製紙業は明治末期に篠原朔太郎による技術改良があり、第二次世界大戦後は銅山川に設けられた柳瀬ダムの金湖砂(きんしゃこ)からの分水により、嶺北の東部は日本有数の製紙地帯として発展を遂げた。和紙・洋紙・不織紙・機能紙など多種多様な製品が生産され、大・小の企業が立地する。和紙から作る水引は全国に知られる。農業は米のほかミカン、茶、シイタケや、フェーン現象を伴うやまじ風が吹く沿岸部ではカンショやサトイモが栽培される。金砂湖を含む銅山川一帯は金砂湖県立自然公園に属する。紙のまち資料館、愛媛県産業技術研究所紙産業技術センターがある。面積421.24平方キロメートル、人口8万7413(2015)。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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