高知県幡多(はた)郡にある町。四国最南西端部に位置する。1957年(昭和32)大内町と月灘(つきなだ)村が合併して成立。国道321号が通じる。渭南(いなん)山地の南西部を町域とし、役場所在地の弘見(ひろみ)付近を除いては平地に恵まれない。海岸部は土佐、宿毛(すくも)湾側ともリアス海岸が発達し、南西端には足摺(あしずり)宇和海国立公園の拠点である景勝地大堂(おおどう)海岸や、陸繋島(りくけいとう)の柏島(かしわじま)、樫西(かしにし)海域公園、勤崎(つとめざき)海域公園がある。小湾入ごとに分布する漁村では、タイやアジなどの養殖業が盛ん。農業では葉タバコ、ナス栽培、畜産がみられる。面積102.94平方キロメートル、人口4434(2020)。
[大脇保彦]
『中田八束著『大内町史』(1957・大内町)』
山梨県の東部、郡内(ぐんない)地方にある市。1954年(昭和29)大月町と猿橋(さるはし)、七保(ななほ)の2町および笹子(ささご)、初狩(はつかり)、賑岡(にぎおか)、梁川(やながわ)の4村が合併して市制施行。同年富浜村を編入。市域を東西に貫くJR中央本線の駅は6駅もあり、旧大月町を除くと大部分は山間農村で占められており、江戸時代には甲州街道の宿場であった集落も多い。なかでも桂(かつら)、笹子の2川が合流する段丘上の旧大月町は、甲州街道と富士吉田に通ずる富士道中との分岐点で、古くは富士山に赴く富士講の人々の往来も多い宿場町として栄えた。いまも中央本線と富士急行線の乗換地、中央自動車道の富士吉田線と西宮線との分岐点として富士五湖方面への玄関口となっている。国道は20号と139号が走っている。古くから周辺農村を含めて甲斐絹(かいき)の産地として家内工業が盛んであったが、機業は最近不振で、かわりに精密機械などの部品工場が各所に進出している。また、東京に近いため東京への通勤者も増加している。観光地としては、日本三奇橋の一つに数えられる猿橋(国指定名勝)や、戦国時代の城跡でもある岩殿山(いわどのやま)、大菩薩嶺(だいぼさつれい)の南に続く山並みで富士山の撮影地として名高い雁ヶ腹摺山(がんがはらすりやま)や素朴な橋倉鉱泉などがあり、桂川の本・支流はアユやヤマメの釣場として知られている。面積280.25平方キロメートル、人口2万2512(2020)。
[横田忠夫]
山梨県東部にある市。1954年大月町,笹子村,初狩村,賑岡(にぎおか)村,七保(ななほ)町,猿橋町,梁川(やながわ)村が合体して市制。人口2万8120(2010)。中心市街は江戸時代,笹子川沿いの甲州道中と富士吉田に通じる桂川沿いの富士道中との分岐点で,夏には富士講の往来も多い宿場として栄えた。1902年甲武鉄道(JR中央線),29年に富士急行が通じ,中央自動車道の甲府方面と河口湖方面への分岐点ともなって現在も交通の要衝をなしている。近世初めから周辺農村を含めて郡内地方の甲斐絹織物の産地として家内工業が盛んで,明治から第2次世界大戦前までは服裏地,夜具地,洋傘地の産地として発展した。戦後は人絹・合繊織物の産地となったが零細規模の業者が多く,近年は機業の不振から衰退し,東京への通勤者が年々増加する傾向にある。観光地として日本三奇橋の一つ猿橋(名),戦国時代の城跡でもある岩殿山,富士山の撮影地として名高い雁ヶ腹摺(がんがはらすり)山(1874m)などがある。
執筆者:横田 忠夫
高知県南西端,幡多郡の町。人口5783(2010)。太平洋に突出した大月半島とその基部よりなり,宿毛市,土佐清水市に接する。町域は丘陵性の山地が多く,平たん地は少ない。従来の米作中心からタバコ,蔬菜,果樹の栽培,畜産へと移行しつつある。沈降性の海岸には柏島,安満地,古満目,竜ヶ迫,小才角などの漁港があり,沿岸漁業を中心に,ハマチ養殖やサンゴ採取などが行われる。海岸は足摺宇和海国立公園に属する。
執筆者:萩原 毅
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