大林村(読み)おおばやしむら

日本歴史地名大系 「大林村」の解説

大林村
おおばやしむら

[現在地名]若柳町 大林

福岡ふくおか村の西、集落のほとんどははさま川左岸の自然堤防上に立地するが、西端の町裏まちうらは同川支流の三迫さんのはさま川左岸に位置する。集落後背地は金成かんなり耕土で、北部を両河川とほぼ並行してなつ川が東流。夏川北が三迫の有賀ありが村、西は同沢辺さわべ(現金成町)などで、当村も三迫に属する。村名ほか林の付く地名が多く、「安永風土記」に柳林やなぎばやし・上柳林・下柳林・宇南林うなんばやしの屋敷名がみえる。年未詳の伊達領内領知日記(伊達家文書)二迫にのはさまのうち「二貫五百文大林之内 平田彦七郎分」とみえる。正保郷帳に水損と注され、田一五五貫三三六文・畑一五貫三六九文で、ほかに新田二三貫一一九文とある。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]安佐北区可部かべ町大林

上町屋かみまちや村の北東に位置し、北西には備前坊びぜんぼう(七八九・四メートル)、南東には押手おしで(七〇六・八メートル)白木しらき(八八九・八メートル)がそびえる。村域の大部分は山地で、東北から南西に流れる根谷ねのたに川と、その支流の谷々に集落が点在する。根谷川右岸には雲石路が通り、郡境を越すと高田郡向山むこうやま(現八千代町)で、ほどなく日本海側と瀬戸内海側の分水嶺をなす上根峠かみねだおに至る。

大林村
おおはやしむら

[現在地名]小松島市大林町・赤石町あかいしちよう

立江たつえ村の北東に位置し、西部を立江川が北流する。北部には豊浦とようら浜や砂洲地を開いた和田津わだつ新田がある。近世は初め那西なさい郡、のち那賀なか郡のうち。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に「大林村」とみえ、立江川河口部が広く深く描かれる。寛永一五年「那西郡大林村」の高三四石余など高二〇〇石余が土橋源左衛門の知行となっている(「知行差遣状」御大典記念民政資料)正保国絵図では高一千一七三石余。寛文二年(一六六二)の高并歩役之帳(小松島市史)では持高一六七石余の現福げんぷく寺、同じく高一一九石余の与右衛門ら高五〇石余以上の者八人を含め二八人が記載され、都合一千一一二石余となっており、また相応に銀子請とするよう願出ている。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]下山村大林

ともえ川の右岸。東は高野たかの村・野原のわら村・羽布はぶ村、南は大桑おおくわ村、西は立岩たていわ村、北は梨野なしの村と現足助あすけ町に接する。支流大林川が南流し、集落は小起伏面上の山麓に点在。県道東大見―岡崎線と県道平瀬―善夫線が通じる。先土器時代の遺跡としてはな遺跡がある。有舌尖頭器を出土。縄文時代の遺跡としてはんABCDの四遺跡と太田おおだ遺跡があり、半ノ木C遺跡からは早期押型文土器を出土した。

寛永一二年(一六三五)当時、成瀬伊豆守領。慶安四年(一六五一)大島おおしま(現足助町)に陣屋を置く旗本石川貞当の知行地となり明治に至る。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]額田町鍛埜かじの

おと川は村域内で地形の影響より北に大きく蛇行し、集落は蛇行地点より乙川下流の右岸作手中つくでなか道沿いに立地。東は名之内なのうち村、西は村、南は大山おおやま村、北は麻生あそう村と各各山で接する。中世、中山なかやま庄に属したという。天正一八年(一五九〇)岡崎城主田中吉政領、慶長六年(一六〇一)幕府領となる。同九年検地高は一三七石余。寛永九年(一六三二)刈谷藩領となり、同一三年松平主殿頭の領内検地で田方一二石余・畑方九斗余が刈谷検地打入高として加わり、一五〇石余となる(近藤家文書)。慶安二年(一六四九)再び幕府領となり、同四年に石川総氏知行所に編入し明治に至る。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]菊鹿町松尾まつお

初田はつた川の上流源にあり、八方やほうヶ岳から南南西に延びる尾根の西斜面に位置する。東は尾根を境に白木しらき(現菊池市)、西は道場どうじよう村・木山きやま村、南は稗方ひえがた(現菊池市)米原よなばる村、北は池田いけだ村と接する。寛文九年(一六六九)の「一統志」の国郡寺社総録に「大林 大隅大明神」とある。近世は菊池郡深川手永に属した。文化一一年(一八一四)頃の深川手永手鑑によると田一一町一反余・畑六町六反余、高二三三石余が上知・御給知分とあり、新地は宝暦一四年(一七六四)の地引合帳によると、畑二町六反余・高五石七斗余とあり、畑字に居去・平羅石・保口・米かと・辻山など一六、四〇名の高持百姓の名がみえる。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]豊田市大林町・御幸本みゆきほん

市域南部に位置する。近世初めは岡崎藩領。正保二年(一六四五)から明和六年(一七六九)まで幕府領であるが、その後再び岡崎藩領となり明治維新まで続く。

寛文八年(一六六八)の大風池ぬまり地替地につき大林村証文(鴛鴨区有)では、鴛鴨おしかも大風おおかぜ池の築造によって大林村の田地が水湿地となったので、鴛鴨村の田地と交換したことがわかる。宝永元年(一七〇四)の大林村と上野十ヵ村山境論一件(深津惣重氏蔵)は、岡崎藩領上野うえの一〇ヵ村と幕府領大林村の山論で、翌年の裁許絵図(内藤家文書)によって山境が決められ、鴛鴨村弥栄と大林村の境には境塚の印が記された。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]守山市大林町

欲賀ほしか村の東に位置。南辺をさかい川が西流して栗太くりた横江よこえ村との境を画する。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に「四百参拾石三斗六升 大林」とある。寛永石高帳によれば高四二五石余で旗本木下領。反別は田三九四石余・畑三〇石余、小物成八升(慶安高辻帳)。中山道守山宿への助郷高は四二五石余であったが、文政七年(一八二四)には、うち一五九石が以後二〇ヵ年の休高として認められ、嘉永二年(一八四九)にも一二八石余が、以後一五ヵ年の休高として認められた(守山甲共有文書)

大林村
おおばやしむら

[現在地名]明野町大林

小貝こかい川左岸の低地にあり、北は古内ふるうち村、東は海老江えびえ村。古代は「和名抄」記載の真壁郡大林郷の本郷の地とされる(新編常陸国誌)。明治二年(一八六九)の村鑑書上帳(広瀬家文書)によれば、寛文四年(一六六四)の牛原与市右衛門の検地で改高一八七・四六六石(うち高二・五石の小物成高は小貝川魚漁)、新田出高四〇・二七三石となり、享保年間(一七一六―三六)までに新田高一八・〇二八石が打出された。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]大津町大林

吹田ふけだ村の東にある。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると、名請人一三人(うち屋敷持一一)、田はなく、畠・居屋敷八〇町四反余、分米四九九石余。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳では大津組に属し、大林村と大林村出分に分れている。大林村は戸数一八・家数八一、人数八一(うち庄屋一・名子三)、牛馬四四、高四五七石三斗余。大林村出分は戸数四・家数二七、人数三二(うち庄屋一・百姓八)、牛馬一四、高一二七石四斗余。その後合志郡大津手永に属した。宝暦一一年(一七六一)の下ケ名寄帳では、小百姓数は不明だが、庄屋一人・頭百姓四人がいたことがわかる。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]鳳来町四谷よつや

仏坂ほとけざか峠の西麓にあたり、西は身平橋みだいらばし村、北は大代おおじろ村に接する。慶安元年(一六四八)大代村から、小代こしろ(現北設楽郡設楽町)布留宿ふるやど・大林の各村が分村した(四谷村誌)。仏坂の旧道は集落から峠まで、上り二八町の馬道であったが、北設楽郡東部と海老えび川筋を結ぶ重要道路で、人馬の往来が激しく、馬頭観音像が多く祀られているので、この名がついたと伝える。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]瑞穂町大林

久喜くき村の東、大原おおばら(六六五・二メートル)の南東側山間斜面に立地。南境を長瀬ながせ川が東流する。東境の徳前とくぜん峠越で阿須那あすな(現羽須美村)への道、久喜村から出羽いずわ村へ出る道などが通る。正保国絵図に大林村とみえ、高七一石余。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によれば田方五三石余・畑方二八石余、年貢高は米一六石余・銀一四四匁余、家数は本家九・門屋一六、人数一一一。

大林村
おおばやしむら

[現在地名]越谷市大林

袋山ふくろやま村の南東に位置し、西は元荒川で限られる。日光道中が南北に走り、道中沿いに集落が形成されている。田園簿に村名がみえ、高は田方九六石余・畑方七〇石余。幕府領で幕末に至る。元禄八年(一六九五)に検地があり(風土記稿)元禄郷帳では高一九七石余。同九年越ヶ谷宿の大助郷となる(越谷町助郷帳「伝馬」越谷市立図書館蔵)

大林村
おおばやしむら

[現在地名]愛東町大林

下中野しもなかの村の東に位置する。宝暦九年(一七五九)より彦根藩領の中野郷(現上中野・下中野付近)中の荒地を少しずつ開墾し、明和九年(一七七二)には六町二反余、その後の開墾の結果は天保一一年(一八四〇)に三町八反余となり、明治七年(一八七四)大林村とした(愛智郡志)

大林村
おおばやしむら

[現在地名]滑川市大林

早月はやつき川が形成した隆起扇状地(室山野台地)の扇頂部付近に位置し、北は大浦おおうら村。開発から弘化三年(一八四六)に村立てされるまでの経緯は下野しもの村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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