大歌を教習する所。雅楽寮の歌師・歌人・歌女の〈歌〉には,立歌(たちうた)と大歌の別があり,大歌とは古代宮廷の祭祀や節会に用いられた歌謡をいい,舞を伴うものもあった。成立年時は不明であり,《万葉集》巻六所収の736年(天平8)の和歌の詞書に見える〈歌儛所〉がその前身と考えられるが,《文徳実録》嘉祥3年(850)11月己卯条の興世書主の伝に,書主は和琴をよくしたので,816年(弘仁7)に大歌所別当になった,とあるのが大歌所の初見である。別当は所の統轄者で,書主は補任当時,六位であったというから,六位(地下)別当で,その上に公卿(中納言以上)別当がおり,時に親王別当もあったという。職員にはこのほか,撿十生・撿校・御琴師・笛師・案主などがあった。元日・白馬(あおうま)・踏歌・新嘗の各節会や大嘗会に大歌が奏されたので,平安時代にはその活躍がみられ,また踏歌や女楽をつかさどる内教坊とも密接な関係があったが,朝儀の衰退とともに廃絶したらしい。江戸時代の朝儀再興の気運により,1753年(宝暦3)の神嘗祭のときに再興されたが,どこまで古代のおもかげを伝えているかは疑問である。
執筆者:今江 広道
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大歌の歌曲教習、その管理をつかさどった所。令外官(りょうげのかん)。初めは雅楽寮(うたまいのつかさ)で日本古来の歌舞を所掌したが、平安初期に歌曲は大歌所に分離された。非参議もしくは六位以上の者が別当(べっとう)(長官)に補され、十生、案主、琴師、和琴師、笛師、歌師などの職制があったという。10世紀以後には別当に納言(なごん)以上の者も補され、かなり重視され、儀式での活躍をみせていた。平安後期までは別当の補任がみえるが、それ以後は不詳である。江戸時代1753年(宝暦3)に再興され、明治に至り宮内省楽部に併合された。
[橋本不美男]
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…若干の東歌をひいて特色をみるなら,〈多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの児(こ)のここだ愛(かな)しき〉(武蔵国,相聞),〈上野(かみつけの)安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽かぬをあどか我がせむ〉(上野国,相聞),〈稲搗(つ)けば皹(かか)る我が手を今夜(こよい)もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ〉(国名不明,相聞)のように,その多くは労働作業の描写がただちに比喩として愛情の表現に結びついており,独特な生活臭と野性の魅力を放っている。こうした東歌はおそらく筑波山の〈かがい〉に代表される東国の歌垣(うたがき)でうたわれたはずで,それらが古代における宮廷と東国との特別な社会的・政治的関係の中で宮廷の大歌所に集積され,《万葉集》にとりこまれたものらしい。東国は古代王権の支配が及ぶ先端の地であるだけに,東歌がその従属の一徴標として貢上されたのであろう。…
…なお雅楽大属尾張浄足(平安初期の人か)によれば,日本在来の歌舞には,宮廷に伝来した五節舞などのほか,久米舞(大伴・佐伯両氏),楯臥舞(土師・文両氏)など,氏族の伝承したもの,筑紫諸県舞のごとく地方に伝来したものがあり,外来音楽にも,唐楽などのほかに度羅楽もあったという。しかし師・生ともに時代が下るにつれて縮減の傾向にあり,そのうえ,日本固有の楽は大歌所において,唐楽以下の外来の楽は楽所において,また女楽は内教坊において教習されるようになり,雅楽寮はその実体を失った。雅楽【今江 広道】。…
※「大歌所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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