大石寺(読み)タイセキジ

デジタル大辞泉 「大石寺」の意味・読み・例文・類語

たいせき‐じ【大石寺】

静岡県富士宮市にある日蓮正宗総本山。山号は大日蓮華山。開創は正応3年(1290)、開山は日興。南条時光の外護げごを受けた。明治45年(1912)富士派を日蓮正宗と改称。

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精選版 日本国語大辞典 「大石寺」の意味・読み・例文・類語

たいせき‐じ【大石寺】

  1. 静岡県富士宮市上条にある日蓮正宗の総本山。山号は多宝富士大日蓮華山。正応三年(一二九〇)南条時光の外護(げご)により日蓮の弟子日興が創建。明治三三年(一九〇〇)独立して、日蓮宗富士派(のちの日蓮正宗)の総本山となる。創価学会は、もとこの寺の講の一つ

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日本歴史地名大系 「大石寺」の解説

大石寺
たいせきじ

[現在地名]富士宮市上条

潤井うるい川上流右岸にある。日蓮正宗の総本山で、本尊板本尊。山号は多宝富士大日蓮華山。富士門流(興門派)の富士五山の一つ。寺号は富士山南西麓末端部の大石おおいしヶ原に所在したことにちなむといい、建武五年(一三三八)五月五日の南条時綱寄進状(安房妙本寺文書)に「大いしてら」とみえ、暦応二年(一三三九)二月一五日の南条時綱置文(同文書)にも「おほいしてら」とあって、当時は訓読みしていた。大石寺蔵棟札銘および寺伝によれば、正応三年(一二九〇)一〇月、日蓮の弟子日興が上野うえの郷の地頭南条時光の外護を受けて創建し、日蓮を勧請開山とし、自らは二世となったという。日興は正慶元年(一三三二)一一月一〇日、当寺の御堂・墓所を弟子日目(三世)に相承させた(「日興置文」歴代法主全書)。翌二年日目は大石寺を弟子日郷に相続させるため大久保本妙おおくぼほんみよう寺より当寺大学頭蓮蔵れんぞう坊に招いたという(古文書記興門雑記)。同年一一月に日目は日郷ほかを随行させて上洛の途中、美濃国垂井たるい(現岐阜県垂井町)で没した(本国寺年譜)。日郷が当寺に帰住すると、留守を預かっていた当寺下之しもの坊の日道らは、南条氏出自ではない日郷よりも日目と同じ南条一族の自分が継承すべきだと異議を唱え、結局日道が当寺を継承したため、日郷は当寺を離れ、延元二年(一三三七)小泉こいずみ法華寺に移ったという(古文書記興門雑記)

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改訂新版 世界大百科事典 「大石寺」の意味・わかりやすい解説

大石寺 (たいせきじ)

静岡県富士宮市にある日蓮正宗の総本山。大日蓮華山と号す。開山は日興(につこう)。日興は日蓮没(1282)後甲斐国身延の日蓮の廟所を守っていたが,日蓮生前からの檀越(だんおつ)で身延の地を日蓮に提供した波木井(はきい)実長の信仰のあり方を否定して,1288年(正応1)身延を離れて駿河に移り,日蓮以来の檀越南条時光の支援を得て,90年富士郡上条大石ヶ原に大石寺を創建した。日興はさらに98年(永仁6)同郡重須(おもす)に本門寺を開創,ここに重須談所を開設して弟子の育成に努めた。大石寺はこの本門寺とともに,日興門流(富士門流)の二大拠点の一つ。

 日興は1333年(元弘3)大石寺を日目に,本門寺を日代に譲り,没した。同年,日目は日興の遺命に従い,日蓮の法門を天皇に上奏すべく,大石寺の留守を日道に託して出立したが,上洛途上で没した。随行した日尊,日郷は師に代わってこれを果たしたという。その後,富士に帰った日郷と大石寺の留守に当たった日道との間に当寺継承について争いがおこったが,大石寺創建に力のあった南条氏を親族とする日道が36年(延元1・建武3)当寺を継承,日蓮,日興,日目に次いで第4世となった。日郷は安房保田に移り妙本寺を創建した。この間,支院もつくられ,僧徒の居住も増えて,今川氏,武田氏の保護もあった。大石寺は重須本門寺,富士郡西山本門寺,同下条妙蓮寺,小泉久遠寺とともに富士五山の一つともされた。

 近世初頭,受不施派をリードして不受不施派と争った身延久遠寺日暹(につせん)は,富士五山に受不施の立場を明確にするように要求し,富士門流を包摂しようと考えたようであるが,五山は明確な態度を示さないままに終わった。近世に入ると,蜂須賀至鎮の室による祖師堂の建立,6代将軍徳川家宣の室による諸堂の建立がそれぞれ行われた。近世,大石寺を興隆させたのは26世日寛(1665-1726)で,堂宇坊舎を建立したばかりでなく,《六巻抄》その他の著述によって大石寺教学を樹立,門下の育成に努めた。明治維新後,日蓮系諸教団は,一致派と勝劣派の二つが組織され,大石寺は勝劣派に属したが,1876年富士五山および京都要法寺,安房妙本寺,伊豆実成寺は勝劣派から分離して日蓮宗興門派を公称,さらに1900年,大石寺は独立して日蓮宗富士派となり,12年には日蓮正宗と公称するにいたった。信徒団体に創価学会があり,第2次大戦後における急激かつ広範な伸張は,大石寺諸堂宇の拡大増設や末寺建立の基盤となった。寺には,南条氏をはじめ駿河の檀越(だんおつ)に与えた日蓮の真跡(重要文化財)が多数あり,日興書写の日蓮遺文,南条時光の自筆譲状,その他の南条氏関係や新田氏関係の文書がある。これらは,日蓮および初期日蓮教団の史料としても貴重である。これらに加えて中世・近世にいたる文書も蔵する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大石寺」の意味・わかりやすい解説

大石寺
たいせきじ

静岡県富士宮市上条にある日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の総本山。山号は大日蓮華(れんげ)山。日蓮六上足の一人白蓮阿闍梨(あじゃり)日興(にっこう)は、日蓮没後3か年間を身延(みのぶ)の祖廟(そびょう)に仕えたが、身延の地頭(じとう)南部実長(さねなが)の非行を諫(いさ)めて対立し、1288年(正応1)身延を去って駿河(するが)国(静岡県)富士郡上野郷(うえのごう)の地頭南条時光の持仏堂に拠(よ)った。1290年同氏の外護(げご)で北方の大石ヶ原に一寺を創建し、地名にちなんで大石寺(おおいしでら)と名づけたのが本寺の起源で、江戸時代に6代将軍徳川家宣(いえのぶ)の室天英院らの帰依(きえ)により伽藍(がらん)が完備し、66石余の寺領を有するに至った。興門派八本山の一つであったが、1900年(明治33)分離して富士派を称し、さらに1913年日蓮正宗と改称した。寺宝に南条氏あての日蓮書簡、歴代上人(しょうにん)の遺墨など多数を蔵する。

[浅井円道]

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百科事典マイペディア 「大石寺」の意味・わかりやすい解説

大石寺【たいせきじ】

静岡県富士宮市上条にある日蓮正宗総本山。1290年南条時光が創建。開山は日蓮門下の日興(にっこう)。富士山を本門戒壇に擬して一流を開く。今川・武田・徳川各氏の外護により栄え,三門,御影堂五重塔を残す。現在は鉄筋コンクリートの壮大な伽藍(がらん)。日蓮の書状を含む大石寺文書を所蔵。
→関連項目創価学会日蓮宗富士宮[市]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大石寺」の解説

大石寺
たいせきじ

静岡県富士宮市上条にある日蓮正宗の総本山。大日蓮華山と号す。日蓮没後,身延(みのぶ)の廟所を守った日興(にっこう)は,檀越(だんおつ)南部(波木井)実長および日向と対立して離山。1290年(正応3)南条時光の支援を得て大石ケ原に大石寺を建立した。以後,日目(にちもく)・日道と継承され,同じく日興の開創である重須(おもす)(北山)本門寺とともに,日興門流の中心となった。その後しだいに伽藍を整え,今川氏などの戦国大名の保護をうけた。江戸時代には将軍徳川家宣の室天英院の援助で諸堂が建立され,18世紀はじめには日寛(にっかん)がでて興門教学を大成。明治期に独立して日蓮正宗の総本山となり,第2次大戦後は創価学会の本山として著しく発展した。多数の日蓮の真蹟遺文を所蔵。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大石寺」の意味・わかりやすい解説

大石寺
たいせきじ

静岡県富士宮市にある日蓮正宗の総本山。山号は大日蓮華山。正応3 (1290) 年南条時光が創建し,開基は日蓮の弟子の日興。日蓮の死後,身延山から分派独立し,今川,武田,徳川氏らの保護を受けた。現在,創価学会のよりどころとなる本山として栄えている。

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デジタル大辞泉プラス 「大石寺」の解説

大石(たいせき)寺

静岡県富士宮市にある寺院。日蓮正宗総本山。山号は多宝富士大日蓮華山(たほうふじだいにちれんげざん)。日蓮門下の日興が、身延山を離れて富士に移り、1290年に寺を建立して開山。五重塔は国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典(旧版)内の大石寺の言及

【日興】より

…同年日蓮が示寂して甲斐身延に廟所が置かれ,弟子たちによる廟所給仕の輪番が定められたが,翌々年にはこれが行われなくなったので,日興は身延に在住するようになり,日向(にこう)とともに身延の経営に当たった。しかし,日蓮を信奉し,日興の信奉者でもあったこの地の波木井(はきい)実長の信仰のあり方にあきたらず,88年(正応1)身延を離れ駿河に移り,南条時光の支援で90年富士郡大石ヶ原に大石(たいせき)寺を開創,98年(永仁6)大石寺近傍の重須(おもす)に本門寺を建立,ここに談所を設け弟子を育成した。同年,かつて日蓮に取り次ぎその自筆本尊を与えた者のリストを作成したが,合計64名におよぶ。…

※「大石寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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