中国,唐代の暦法の一つで,僧の一行(いちぎよう)が玄宗の命によって編んだ。太陰太陽暦。李淳風の麟徳暦(儀鳳暦)に代わって729年(開元17)から33年間施行された。一行,南宮説(なんぐうえつ)らは南は交州から北は長城の北の鉄勒に至る子午線測量を実施し,緯度,日晷(につき),日食の食分,恒星の位置の観測を行い,新暦の編成のために全土に及ぶ大規模な天文測量を実行した。標準点は陽城(河南省登封県告成鎮付近)に置かれた。歳差を算入し,天文定数の精度は高いが,1年の長さ(365.2444日)は過大である。太陽運行の不等であることを考慮して,太陽の運行表を決め,計算には不等間隔二次差近似補間を用いるなど,画期的な暦法であった。727年に草稿ができたが一行は死亡し,張説(ちようえつ),陳玄景らの編訂によって暦術7編,略例1編,暦議10編が成立した。日本では763年(天平宝字7)8月から儀鳳暦に代わって施行され,856年(斉衡3)まで用いられた。
執筆者:橋本 敬造
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…123.7km)にあたるという結果を得た。724年に編暦作業を開始して,易の形而上学と結びつけた大衍暦を完成させた。この暦法によって計算した暦は彼の死後の729年から全国に頒行され,735年(天平7)吉備真備によって日本にも伝えられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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