大衍暦(読み)たいえんれき(英語表記)Dà yǎn lì

精選版 日本国語大辞典 「大衍暦」の意味・読み・例文・類語

たいえん‐れき【大衍暦】

〘名〙 唐の僧一行(いちぎょう)がつくり、開元一七年(七二九)から三三年間、唐で用いられた太陰太陽暦日本では天平宝字八年(七六四)から天安元年(八五七)まで九四年間、使われた。
続日本紀天平宝字七年(763)八月戊子「廃儀鳳暦、始用大衍暦」 〔曾鞏‐本朝政要策・暦〕

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デジタル大辞泉 「大衍暦」の意味・読み・例文・類語

たいえん‐れき【大×衍暦】

中国、唐の玄宗が僧一行いちぎょうに作らせた太陰太陽暦。729年から施行され、761年まで用いられた。日本では天平宝字7年(763)から90余年間採用された。

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改訂新版 世界大百科事典 「大衍暦」の意味・わかりやすい解説

大衍暦 (だいえんれき)
Dà yǎn lì

中国,唐代の暦法の一つで,僧の一行(いちぎよう)が玄宗の命によって編んだ。太陰太陽暦。李淳風麟徳暦(儀鳳暦)に代わって729年(開元17)から33年間施行された。一行,南宮説(なんぐうえつ)らは南は交州から北は長城の北の鉄勒に至る子午線測量を実施し,緯度,日晷(につき),日食の食分,恒星の位置の観測を行い,新暦の編成のために全土に及ぶ大規模な天文測量を実行した。標準点は陽城(河南省登封県告成鎮付近)に置かれた。歳差を算入し,天文定数の精度は高いが,1年の長さ(365.2444日)は過大である。太陽運行の不等であることを考慮して,太陽の運行表を決め,計算には不等間隔二次差近似補間を用いるなど,画期的な暦法であった。727年に草稿ができたが一行は死亡し,張説(ちようえつ),陳玄景らの編訂によって暦術7編,略例1編,暦議10編が成立した。日本では763年(天平宝字7)8月から儀鳳暦に代わって施行され,856年(斉衡3)まで用いられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大衍暦」の意味・わかりやすい解説

大衍暦
たいえんれき

中国唐の僧一行の作で,玄宗の勅命により開元 15 (727) 年に完成させた暦法。この暦法に基づいて暦がつくられ,玄宗の開元 17 (729) 年から粛宗上元2 (761) 年まで使用された。暦の名称は周易大衍の数を推してつくったことによる。定朔による太陰太陽暦一種で,のち日本にも遣唐留学生吉備真備により天平7 (735) 年輸入され,天平宝字7 (763) 年より約 100年間にわたって用いられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大衍暦」の意味・わかりやすい解説

大衍暦
たいえんれき

中国、唐代の僧一行(いちぎょう)によってつくられた暦法。729年から施行された。太陽年として365.24440789日、朔望(さくぼう)月として29.53059日を採用する。日本では764年(天平宝字8)『儀鳳(ぎほう)暦』を廃して大衍暦を施行した。その後780年(宝亀11)『五紀暦』により暦をつくるよう勅令があったがそれを習学する者なく、結局、大衍暦が続行された。858年(天安2)から『五紀暦』と併用され、九十余年間にわたって用いられた。

[渡辺敏夫]

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旺文社世界史事典 三訂版 「大衍暦」の解説

大衍暦
だいえんれき

唐僧一行 (いちぎよう) の作った暦
728〜757年施行。日本では764年から94年間使用。

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世界大百科事典(旧版)内の大衍暦の言及

【一行】より

…123.7km)にあたるという結果を得た。724年に編暦作業を開始して,易の形而上学と結びつけた大衍暦を完成させた。この暦法によって計算した暦は彼の死後の729年から全国に頒行され,735年(天平7)吉備真備によって日本にも伝えられた。…

※「大衍暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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