北海道北西部、留萌(るもい)振興局管内の町。1924年(大正13)町制施行。日本海に面し、北部の幌延(ほろのべ)町との境界を天塩川が流れ、町域は低い山地と低湿な平地からなる。国道40号、232号が通じる。国鉄羽幌(はぼろ)線が通ったが1987年(昭和62)廃止された。JR宗谷(そうや)本線は東部町域外の幌延・中川町域を走る。1786年(天明6)天塩場所が設けられてサケ漁、ニシン漁が行われた。明治期以降、天塩川河口の天塩港は木材移出港として栄え、天塩川流域の開拓期には内陸部と結ぶ出入港として繁栄したが、大正期の鉄道開通で港は衰退した。天塩川河口周辺が中心市街地で、1992年(平成4)天塩新港が開港した。現在、専業化された大規模な酪農が主産業で、乳牛約9200頭を飼育、牛乳約3万8000トン(2015)を生産する。ほかに肉用牛も飼養。シジミ、ホッキガイ(ウバガイ)、ヒラメ、サケおよびそれらの加工品などの水産業も行われる。面積353.56平方キロメートル、人口2950(2020)。
[岡本次郎]
北海道北部,留萌(るもい)支庁天塩郡の町。人口3780(2010)。地名はアイヌ語の〈テシ(やな)〉のような岩盤が川を横切っていることから名づけられた。日本海に面し,北境を天塩川が流れる。1786年(天明6)天塩川河口に松前藩の天塩場所が設けられ,沿岸に和人が住むようになった。明治期には,豊富な天塩山地の森林資源を背景に林業が発達し,天塩港を中心に木材移出とニシン漁の町として大正期までにぎわった。1888年には天塩川流域の殖民地選定区画が終わり,農業移民が入地した。基幹産業は酪農で,乳牛約1万5000頭,牛乳生産量約5万t(1990)に及ぶ。漁業は1954年以来ニシン漁が不振となり,200カイリ漁業専管水域規制の影響も加わって衰退した。国道232号線が通じる。
執筆者:奥平 忠志
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