宮地嶽神社(読み)みやじだけじんじや

日本歴史地名大系 「宮地嶽神社」の解説

宮地嶽神社
みやじだけじんじや

[現在地名]津屋崎町宮司

宮地岳の南麓に鎮座する。現祭神は息長足比売命を主神とし、勝村大神・勝頼大神を従神とする宮地嶽三柱大神。旧県社。社殿裏山に宮地嶽古墳があり、奥宮不動神社が祀られている。奥宮の北東約四〇メートルの地点で蓋付銅壺に納められた緑色ガラス製の骨蔵器が発見された。銅壺は陶質容器に入っていたと考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮地嶽神社」の意味・わかりやすい解説

宮地嶽神社
みやじだけじんじゃ

福岡県福津市宮司(みやじ)に鎮座。息長足毘売命(おきながたらしひめのみこと)、勝村(かつむら)大神、勝頼(かつより)大神を祀(まつ)る。社伝によれば、神功(じんぐう)皇后信仰していた天津(あまつ)神の遙拝祠(ようはいし)を建て、勝頼・勝村の二柱の従神にこの祠掌を命じた。のち皇后の御神魂を合祭され、ここに宮地嶽神社が創建されたという。宗像大社所蔵の『年中行事記』の1368年(正平23)のなかに当神社の神事の記載があり、盛大な神社であったことがうかがえる。なお、神社裏山の奥の院の古墳から、金銅製の鞍(くら)・鐙(あぶみ)などの精巧な金属工芸品や瑠璃壺(るりつぼ)などの骨蔵器の類が多数出土し、300余点が国宝指定されている。

[落合偉洲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮地嶽神社」の意味・わかりやすい解説

宮地嶽神社
みやじだけじんじゃ

福岡県福津市津屋崎に鎮座する元県社。祭神は神功皇后,勝村大神 (藤之高麿) ,勝頼大神 (藤之助麿) となっているが,時代により変遷がある。縁起では神功皇后が遠征に際して宮地嶽の山上で宗像三神に祈請し,勝利を収め凱旋したおりに創建したとされ,長い間宗像神社摂社であった。高麿と助麿は神功皇后に随行し功をなしたと伝えられる。境内から出土した瑠璃壺など8世紀の骨蔵器数点,境内山腹の宮地嶽古墳と呼ばれる円墳から出土した金銅製の馬具や冠など7世紀の副葬品はいずれも国宝。

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百科事典マイペディア 「宮地嶽神社」の意味・わかりやすい解説

宮地嶽神社【みやじだけじんじゃ】

福岡県津屋崎町(現・福津市)宮司に鎮座。旧県社。息長足毘売(おきながたらしひめ)命(神功皇后)・勝村大神・勝頼大神をまつる。神功皇后の征韓のときの鎮祭と伝える。もと宗像大社の摂社。開運の神として信仰される。社地の背後に大古墳がある。例祭4月4〜6日,9月21〜23日。ほかに玉換祭(1月10日),宮座祭(1月11日)がある。
→関連項目津屋崎[町]

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デジタル大辞泉プラス 「宮地嶽神社」の解説

宮地嶽神社

福岡県福津市にある神社。「みやじだけじんじゃ」また「みやちたけじんじゃ」と読む。創建年代は不詳だが、神功皇后にまつわる伝説が伝わる。祭神は息長足日売命(おきながたらしひめのみこと)、勝村大神、勝頼大神。開運の神として信仰を集める。大注連縄、大太鼓、大鈴はいずれも大きさ日本一を誇る。

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事典・日本の観光資源 「宮地嶽神社」の解説

宮地嶽神社

(福岡県福津市)
福岡県文化百選 名勝・景観編」指定の観光名所。

宮地嶽神社

(福岡県福津市)
福岡県文化百選 建物編」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の宮地嶽神社の言及

【津屋崎[町]】より

…農漁業が主産業で,米作のほか野菜,果樹の栽培が盛ん。海岸は玄海国定公園に含まれる景勝地で,開運の神として商人の信仰を集める宮地嶽神社などがあり,四季を通じて観光客,参拝客でにぎわう。西鉄宮地岳線が通じる。…

※「宮地嶽神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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