家船(読み)エブネ

デジタル大辞泉 「家船」の意味・読み・例文・類語

え‐ぶね【家船】

《「えふね」とも》九州北西部、特に長崎県沿岸で、住居として一家族が船に乗り、漁業行商をして生活していた漂泊漁民。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「家船」の意味・読み・例文・類語

え‐ふね【家船】

〘名〙 (「えぶね」とも) 船を家として漂泊する水上生活者一団瀬戸内海をはじめ、長崎県西彼杵(そのぎ)郡、平戸島五島対馬などにみられたが現在はほとんど定住。漁業を主とした。
日本釈名(1699)中「三のあまともに、つねに船を家としてくがにすまぬもあり。俗に家ぶねと云」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「家船」の意味・わかりやすい解説

家船 (えぶね)

九州長崎県の西海岸から五島列島,壱岐,対馬などに分布していた一群の海上漂泊漁民の集団。方言ではエンブと呼ばれていた。古代海部(あまべ)とのつながりが十分考えられるものの確たる証拠はない。ただ各地に分布する海人(あま)とともに古くから漁業専門に生きてきた専業漁民として,日本の漁業史研究の上で欠かすことのできぬ存在である。その生活の特徴は,陸上に一片の土地も持たず,かつ家族全員が家船と呼ばれる船の上で生活していたことである。また漁法においては一本釣りをせず,潜水または船上からの鉾突きによる主としてアワビの採集と,集団によるきわめて原始的な追込漁業である葛網(かずらあみ)にあった。分布の中心は長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡の瀬戸(現西海市,旧大瀬戸町)向島,同市の旧崎戸町中戸であり,そこから五島福江島の樫之浦,壱岐,対馬へ分散していった。平戸島の幸ノ浦にもムラを作っているが,西彼杵家船と平戸家船との歴史的関係は明らかではない。各地に分散をしたとはいうものの部落(ムラ)と呼べるのは瀬戸家船と中戸家船の部落くらいであろう。一本鉾突きを業とするときは数艘の船で群を作り,葛網のときは十数艘にものぼる船で沿岸で漁業を営んで,生涯を過ごした。ただ盆・正月,竜宮祭などのハレの日には必ず根拠地に帰るという掟があり,そのときに葛網の取決めなどをはじめとする寄合いがもたれた。家船には一定の漂泊圏があり,西彼杵郡の家船の場合,大村藩の保護,特別認可を得ていたといわれ,藩主の〈お墨付き〉を保有してきた。夜間の漁はせず,昼間獲った魚介類を夕方妻や娘たちが陸上の農家を訪れて主食その他と物々交換をする。日本の商業の発生を,このような家船の生活形態に求める学説もある。陸上の農民とはもちろん,一般の定着漁民の生活ともひじょうにその形態や価値観が異なっていたため外部集団との通婚はうまくいかず,第2次大戦後でも孤立した集団をなし,地元では社会的緊張が存在していた。

 昭和初期ごろからしだいに陸上に定着しはじめ,現在では本来の海上漂泊の生活はまったく姿を消してしまった。そのきっかけとなったおもな原因は,戸籍法,義務教育,徴兵制の普及・徹底などであった。また瀬戸内海には広島県豊田郡,尾道市吉和などを根拠地とする〈フナズマイ(船住い)〉と呼ばれる海上漂泊漁民の集団が存在したが,漁法の一部を除き生活形態には共通するものがあった。しかしいずれも現在は陸上の生活に変わってしまった。なお,このような海上居住の漂泊漁民と,昭和20年代末ごろまで東京港や大阪港にいて沖合停泊の貨物船から陸上への貨物運搬をしていた艀(はしけ)船の水上生活者とはいかなる関連を有するかという問題はいまだにはっきりせず,現在ではこうした艀での運搬業者の生活も消滅してしまった。家船に類似した海上漂泊民が香港や東南アジアのフィリピン南部,タイ南部からマレーシアインドネシアに見られるが,いずれも日本の家船との関連は明確ではない。
シャア →蛋民(たんみん) →能地(のうじ) →漂海民
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「家船」の意味・わかりやすい解説

家船
えぶね

九州北西部、とくに長崎県の沿岸を根拠地とし漂泊的な生活を送っていた漁民集団。集団ごとに根拠地の名を冠して「瀬戸家船」「崎戸(さきと)家船」などとよばれていた。かつては家族単位になる複数の船が集まって小船団を構成し、鉾(ほこ)突き漁、潜水漁、葛網(かずらあみ)漁に従事し、漁があると沿岸各地の船だまりに入った。漁獲物は婦人たちの手によって船だまり周辺の農村で農作物との物々交換に向けられた。古く家船は陸上には土地や住居をいっさいもたなかったといわれるが、正月、盆、竜神祭のおりには根拠地に集結し、このときに寄合や結婚式も行われた。近世以降宗門改めによって檀那(だんな)寺をもつ必要に迫られたこと、死者の埋葬問題が生じたことなどが因となって徐々に陸地への定着化が始まった。

 明治以降は義務教育の浸透、船の動力化、さらに漁業の流通機構の改善が進み、昭和30年代にはほとんどの家船が根拠地に家を構え、厳密な意味での家船はほぼ消滅した。なお、家船とはよばれていないが、かつては海上漂泊漁民で、家船と類似した生活慣習をもつ集団が岡山や広島県下の瀬戸内海地域にも少なくなかった。

[野口武徳]

『大林太良編『山民と海人』(『日本民俗文化大系5』1983・小学館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「家船」の意味・わかりやすい解説

家船【えぶね】

小舟を日常の住居とする漂泊漁民。おもに長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡や五島列島を根拠地とするものをさしたが,大分県臼杵(うすき)市を根拠地として瀬戸内海で漁をするノウジあるいはシャアと呼ばれる同種の漁民も含めることが多い。前者は潜水漁,追込網漁,後者は打瀬(うたせ)網漁が中心。漁業の古俗を保持したが,現在では両者とも陸上に定住している。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「家船」の意味・わかりやすい解説

家船
えぶね

陸上に住居をもたず,船を家として水上生活をする漁業者をいう。元来は長崎県の海上漂泊漁民をさしてエブネ,エンブと呼んだが,最近の研究では瀬戸内海のノウジ,フタマドと呼ばれる漁民も家船に含めるようである。家船は古代の海人部 (あまべ) の残留とする説もあるが,明らかでない。こうした水上生活者は,中国,台湾,東南アジアにもみられる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の家船の言及

【瀬戸内海】より

…明治以降は鉄道の発達によって沿岸航路が廃止されたところもあり,大型の汽船が普及してからは小規模な港町の多くは衰退した。第2次大戦前までは沿岸独特の習俗として,家族が単位となって船上で生活のいっさいをまかなう家船(えぶね)が,現在の広島県因島市箱崎,三原市能地(のうじ)などを根拠地として内海各地で多くみられた。また大陸伝来のものと考えられる独特の石ぶろ(蒸ぶろの一種)が,古くから沿岸西部,とくに山口県で多くつくられ,住民の医療目的を兼ねたいこいの場となっていたと思われる。…

【能地】より

…広島県三原市に属する漁村で,古くより船を住いとして生活する家船(えぶね)漁民の出身地として有名である。家船漁民としては,このほか長崎県の西彼杵や平戸島の幸ノ浦,あるいは五島を根拠地とするものが知られている。…

【漂海民】より

…後者のなかでは北ボルネオからフィリピンのスルー諸島,ミンダナオ島南部沿岸に分布するバジャウ族Bajauが著名である。日本では〈家船(えぶね)〉と呼ばれる漂海民が,長崎県西彼杵(にしそのき)郡や瀬戸内海の各地に分布していた。それぞれ本拠地を持ち,盆,正月などには必ず帰港することを掟としていた。…

※「家船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android