富士河口湖(読み)ふじかわぐちこ

改訂新版 世界大百科事典 「富士河口湖」の意味・わかりやすい解説

富士河口湖[町] (ふじかわぐちこ)

山梨県南部,南都留(みなみつる)郡の町。2003年11月河口湖町と足和田(あしわだ)村,勝山(かつやま)村が合体して成立,さらに06年3月上九一色(かみくいしき)村(南部)を編入した。上九一色村の北部は分村して甲府市へ編入された。人口2万5471(2010)。

富士河口湖町中部の旧村。南都留郡所属。人口1587(2000)。富士山北麓に位置する。中央部に西湖,東部に河口湖があり,北部には御坂山地,南部に青木ヶ原が広がる。耕地は少ないが,トウモロコシダイコン,キャベツなどの高原野菜を栽培し,酪農も行われる。1966年に台風による山崩れで,根場(ねんば)・西湖の両集落は壊滅的な被害を受けたが,71年に青木ヶ原などへ移住し,民宿村として再スタートした。中央自動車道河口湖インターチェンジからは比較的離れているため,静かな観光地として売り出している。

富士河口湖町中部東寄りの旧村。南都留郡所属。人口2502(2000)。富士山北麓,河口湖の南岸に位置する。面積4.2km2は県下最小。集落は村の北部,河口湖の周りにある。全域が富士山の噴出物に覆われ,土壌はやせて耕地は少ない。農業は米作からトウモロコシ,キャベツ,トマトなど高原蔬菜栽培へと転換している。また,ざるをはじめ,竹を使った工芸品の生産が盛ん。風光明美な土地を生かした観光地としてテニス,サッカーなどの体育施設,音楽施設などが増加している。富士御室浅間神社や勝山歴史民俗資料館がある。中心部を国道139号線が通じ,南部を河口湖バイパスが走る。
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富士河口湖町東部の旧町。南都留郡所属。1956年船津,小立,大石,河口の4村が合体して町制をしき,現名に改称。人口1万8506(2000)。富士山北麓,河口湖北岸および東岸を占め,かつては信仰のための富士登山の基地であり,高冷地にある寒村として養蚕林業竹細工行商などを営んでいた。近年は花木やハーブ栽培が盛んになり,また富士五湖で最も開けている河口湖南東岸の船津を中心に観光産業で発展している。1950年開通の富士急行河口湖線の終点河口湖駅や,富士山五合目に通ずる自動車道富士スバルラインの起点にも近く,中央自動車道河口湖線が73年河口湖まで開通してシーズンには観光客でにぎわう。1971年河口湖大橋の開通によって湖が南北に結ばれてからは北岸の大石地区の観光地化も進み,旅館,民宿なども増加している。おもな行事としては,富士登山祭(6月),湖上祭(8月)などがあり,このほかハーブフェスティバルなど各種イベントも盛んになっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報