( 1 )①は納殿の御物を出納する役であるところから、御倉の小舎人とも称された。常は校書殿に詰めており、定員は初め六名であったが、平安末期には一二名に増加している。
( 2 )②は親王家や摂関家以下の雑用係であり、蔵人所とは無縁である。また、近衛の中将・少将などが召し使った元服前の童子もいう。
(1)蔵人所(くろうどどころ)の下級職員。御倉小舎人と称す。殿上からの召を受けて,殿中の公用に就事することを職掌とした。その詰所は校書殿にあった。定員は6名であったが,平安末期には12名となった。また,このほかに定外の小舎人も置かれた。鎌倉時代に成立した《禁秘抄》には,六位蔵人が公事を欠怠するために,出納,小舎人がもっぱら事に当たるようになったと記されており,中世においては出納とともに蔵人所運営の重要な担い手となった。また,蔵人所から発遣される諸使にあてられることも多く,蔵人所の発給する牒にも,使として小舎人の名が載せられるのが例であった。彼らの補任には勅許を必要とせず,蔵人頭以下が殿上で議定することとなっていた。また,官人としては史生(ししよう)に任命されるのが一般的であったが,彼ら自身は衛門志(えもんのさかん)に任命されることを競望したという。鎌倉時代以降,その家柄も固定していったらしく,紀氏の一族で後に山科・真継等を称する人々が世襲的に任命されるようになった。(2)平安時代以降,公卿の子息で元服前の者を童形のままで昇殿させ,殿上に候せしめたもの。殿上小舎人または童殿上と称した。943年(天慶6)4月,小舎人藤原斉敏(大納言藤原実頼の子)が加冠して御前に召されたという記事が《日本紀略》にあり,この前後より史料上に姿をあらわす。(3)公家・武家を問わず,貴人の身辺に侍し雑用をつとめた少年。〈小舎人童〉ともいう。平安時代に,主として近衛中将や少将が召し使い,牛車の前に立たせたりする例がよく知られている。《禁秘抄》には〈随身,雑色等之児也〉と記されている。(4)鎌倉幕府および室町幕府の侍所(さむらいどころ)の下級職員。雑色や下部らとともに侍所の雑用をつとめ,罪人の召出しや獄舎の事等決罰関係の末端部の職務を分掌し,時には警衛にもあたった。
執筆者:玉井 力
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…戦国時代から江戸時代を通じて,蔵人所(くろうどどころ)小舎人(こどねり)=御蔵職(おくらしき)を世襲した地下(じげ)の官人。室町時代以前の出自,系譜は不明(《地下家伝》の系譜は江戸時代の偽作)。…
※「小舎人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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