朝鮮、新羅(しらぎ)時代の学者、詩人。字(あざな)は孤雲。慶州の人。12歳のとき唐に留学、17歳で唐の科挙に及第するほどの秀才であった。黄巣(こうそう)の乱のとき、唐の将軍高駢(こうへん)(?―887)の従事官として従軍、数々の表状、書啓、檄文(げきぶん)などを書いたが、なかでも『討黄巣檄文』は有名。885年、28歳で帰国し、一時地方の長官を務めたこともあったが、国政の乱れを悲観、名勝地を流浪したのち、伽倻山(かやさん)の海印寺(かいいんじ)に入り余生を送ったという。書家、美文家として一世を風靡(ふうび)。『鸞郎碑(らんろうひ)序文』は新羅の花郎(かろう)道を知るうえで重要な資料である。著書に『桂苑(けいえん)筆耕』『釈順応伝』など。1部20巻の『桂苑筆耕』は儒学者の文集としては朝鮮最古のもの。
[尹 學 準 2016年10月19日]
朝鮮,新羅末期の文人。字は孤雲,海雲。王京(慶州)の人。12歳のとき唐に渡り,874年に17歳で唐の科挙に及第して官途につく。黄巣の乱(875-884)に際して高駢(こうへん)の従事官となり,上表文,檄文等を草して文名を高めた。85年帰国して侍読兼翰林学士に任官されたが,国政の乱れに活動もままならず,93年遣唐使としての渡航も阻まれ,翌年真聖女王に〈時務〉10余条を献策した。のち乱世に絶望して各地をめぐり,ついに伽倻山海印寺に隠れすんだという。在唐期の文集《桂苑筆耕》20巻をはじめ,詩賦や《崇福寺碑銘》《釈順応伝》等が伝わる。その門人から新興の高麗に仕官した者が出ている。諡号(しごう)は文昌侯。
執筆者:大井 剛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新