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平忠度 たいらのただのり

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平忠度
たいらのただのり

[生]天養1(1144).京都
[没]元暦1(1184).2.7. 摂津,一ノ谷
平安時代末期の武将。薩摩守,正四位下。忠盛の子,清盛の弟。源平の合戦 (→治承の内乱 ) に活躍したが,一ノ谷の戦いで討たれた。小さいときから藤原俊成について和歌を学び,『千載集』『新勅撰和歌集』『玉葉集』などに 11首選ばれている。

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デジタル大辞泉の解説

たいら‐の‐ただのり〔たひら‐〕【平忠度】

[1144~1184]平安末期の武将・歌人。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守(さつまのかみ)。藤原俊成に師事して和歌をよくし、平氏西走の途中、京都に引き返して師に詠草1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦いで戦死。

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百科事典マイペディアの解説

平忠度【たいらのただのり】

平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守(さつまのかみ)。和歌をよくし,平家西走の途中京都に引き返し,師の藤原俊成(としなり)に歌集1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦で戦死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平忠度 たいらの-ただのり

1144-1184 平安時代後期の武将。
天養元年生まれ。平忠盛の子,平清盛の弟。源平の争乱で富士川の戦い,墨俣(すのまた)川の戦いなどの大将軍のひとり。寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで源氏方の岡部忠澄に討たれた。41歳。歌人としてもすぐれ,藤原俊成に師事,歌は「千載和歌集」などにみえる。家集に「平忠度朝臣集」。
【格言など】さざ浪やしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな(「千載和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

平忠度

没年:元暦1.2.7(1184.3.20)
生年:天養1(1144)
平安末期の武将,歌人。忠盛の子,清盛の末弟で,母は藤原為忠の娘ともいうが未詳。極官は正四位下薩摩守。源平争乱勃発以来,治承4(1180)年の富士川の戦,翌年の墨俣川の戦,寿永2(1183)年の礪波山の戦などの合戦に大将軍のひとりとして参戦。また歌人として有名で勅撰集にも入集。寿永2年の平氏都落ちに際し,師藤原俊成に詠草1巻を託した逸話は有名。そのなかの一首「さざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山さくらかな」は『千載集』によみ人知らずとして載る。またその詠草も『平忠度集』(『群書類従』和歌部)として現存。翌元暦1(1184)年,一の谷の戦において岡部六弥太忠澄に討たれた。武将ながら風雅に長けた平氏の公達の典型であった。

(元木泰雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

たいらのただのり【平忠度】

1144‐84(天養1‐元暦1)
平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。正四位下薩摩守。武勇にすぐれるとともに,藤原俊成に師事して和歌をよくした。1180年(治承4)の富士川の戦,83年(寿永2)の北陸遠征の副将軍などをつとめたが一ノ谷の戦で戦死。なお都落ちの途中で京都に引き返し詠草した1巻を俊成に託した話は有名である。自撰集《平忠度朝臣集》がある。【田中 文英】
[人物像と作品化]
 《平家物語》の〈忠度都落〉は,平家一門の運命を自覚した忠度が,都落ちにあたって,今生の思い出に俊成に和歌を託し,勅撰集への入集を乞うというものであるが,武人としての名誉よりも,和歌への執心を貫こうとしている。

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大辞林 第三版の解説

たいらのただのり【平忠度】

1144~1184) 平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守。和歌をよくした。都落ちの際、詠歌百余首を師の藤原俊成に託し、一門とともに西走、一谷で戦死した。家集「平忠度朝臣集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平忠度
たいらのただのり
(1144―1184)

平安末期の武将、歌人。忠盛(ただもり)の子、清盛(きよもり)の弟。正四位下薩摩守(さつまのかみ)。武人として優れているとともに、藤原俊成(しゅんぜい)に師事して、歌人としても有名。富士川における源氏との戦い(1180)に活躍し、1181年(養和1)と83年(寿永2)には、木曽義仲(きそよしなか)を討つべく北陸道に進撃した。しかし平氏の形勢は不利で、翌84年(元暦1)2月の一ノ谷の戦いで戦死した。「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主(あるじ)ならまし」の一首を身につけていたという。和歌の師俊成が撰進(せんしん)した『千載(せんざい)和歌集』をはじめ諸歌集に歌を残している。自撰和歌集『平忠度朝臣(あそん)集』がある。[田辺久子]

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世界大百科事典内の平忠度の言及

【忠度】より

世阿弥作。シテは平忠度の霊。旅の僧(ワキ)が須磨の浦で山から薪を運ぶ老人(前ジテ)に出会い,平忠度にゆかりのある桜の木のもとで,忠度の弔いを頼まれる。…

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