平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。正四位下薩摩守。武勇にすぐれるとともに,藤原俊成に師事して和歌をよくした。1180年(治承4)の富士川の戦,83年(寿永2)の北陸遠征の副将軍などをつとめたが一ノ谷の戦で戦死。なお都落ちの途中で京都に引き返し詠草した1巻を俊成に託した話は有名である。自撰集《平忠度朝臣集》がある。
執筆者:田中 文英
《平家物語》の〈忠度都落〉は,平家一門の運命を自覚した忠度が,都落ちにあたって,今生の思い出に俊成に和歌を託し,勅撰集への入集を乞うというものであるが,武人としての名誉よりも,和歌への執心を貫こうとしている。〈忠度最期〉では,一ノ谷での壮烈な討死の後,箙(えびら)に付けた和歌が発見され,最後まで風雅を失わぬ人柄が,人々の賞賛を得ている。忠度の入集への執心にもかかわらず,歌は〈読み人知らず〉として《千載集》に入れられ,その恨みを妄執として能の世界に移し変えたものが《忠度》である。〈行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし〉と詠んだ桜の木を墓標とする忠度の魂魄(こんぱく)が,合戦の模様や妄執のいわれを僧に語って回向(えこう)を頼むというものである。《申楽談儀》において世阿弥は,〈通盛,忠度,義経三番,修羅がかりにはよき能なり。このうち忠度上花か〉と自賛している。
執筆者:岩崎 武夫
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(元木泰雄)
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平安末期の武将、歌人。忠盛(ただもり)の子、清盛(きよもり)の弟。正四位下薩摩守(さつまのかみ)。武人として優れているとともに、藤原俊成(しゅんぜい)に師事して、歌人としても有名。富士川における源氏との戦い(1180)に活躍し、1181年(養和1)と83年(寿永2)には、木曽義仲(きそよしなか)を討つべく北陸道に進撃した。しかし平氏の形勢は不利で、翌84年(元暦1)2月の一ノ谷の戦いで戦死した。「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主(あるじ)ならまし」の一首を身につけていたという。和歌の師俊成が撰進(せんしん)した『千載(せんざい)和歌集』をはじめ諸歌集に歌を残している。自撰和歌集『平忠度朝臣(あそん)集』がある。
[田辺久子]
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