康弁(読み)こうべん

精選版 日本国語大辞典 「康弁」の意味・読み・例文・類語

こうべんカウベン【康弁】

  1. 鎌倉前期の仏師運慶三男。父とともに東寺興福寺造像参加。興福寺西金堂の天灯鬼、龍灯鬼両像を造る。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「康弁」の意味・わかりやすい解説

康弁 (こうべん)

鎌倉前期の仏師で,運慶の三男。生没年不詳。1198年(建久9)ごろ父運慶に従って東寺の仁王,二天像の製作に当たり,1208年(承元2)の興福寺北円堂像の造営には四天王のうち西方天の頭仏師となり,15年(建保3)には興福寺西金堂の竜灯鬼,天灯鬼を造っている(天灯鬼は別人の作とする説もある)。これは工芸的な技法を駆使した小像ではあるが,人体表現も的確で,鎌倉彫刻らしい力強さと諧謔性とを備えた作で,彼の力量がうかがわれる。
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百科事典マイペディア 「康弁」の意味・わかりやすい解説

康弁【こうべん】

鎌倉初期の仏師。運慶の三男と伝えられる。1215年に造った興福寺の天灯鬼・竜灯鬼(木彫)が唯一遺品で,写実的手法のうちに力強さとユーモアを感じさせる傑作
→関連項目慶派

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「康弁」の解説

康弁
こうべん

生没年不詳。鎌倉前期の仏師。運慶の三男と伝えられる。運慶統率下での造像の事績が知られ,建久末年には教王護国寺(東寺)南大門の仁王像,同寺中門の二天像の造立に参加。法橋(ほっきょう)位にあった1212年(建暦2)頃の興福寺北円堂諸像の造立では広目天像を分担した。興福寺に現存する竜灯鬼像は15年(建保3)の康弁作とされ,一対の天灯鬼とともに,写実的で力感あふれた造形は運慶様の確実な継承を示す。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「康弁」の意味・わかりやすい解説

康弁
こうべん

鎌倉時代前期の慶派正系の仏師。仏師法橋康弁。運慶の3男。父に従って兄湛慶らと教王護国寺の『仁王・二天像』 (1198頃) ,興福寺北円堂の諸像を造顕 (1208) 。代表作として建保3 (15) 年4月造像の興福寺『天燈鬼・竜燈鬼像』 (国宝) があり,慶派の作風を伝える。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「康弁」の解説

康弁 こうべん

?-? 鎌倉時代の仏師。
運慶の3男。建久8年(1197)ごろ父のもとで京都東寺の仁王像,二天像づくりに従事。建暦(けんりゃく)2年完成の奈良興福寺北円堂の広目天もつくった。力感あふれる写実でしられ,興福寺の竜灯鬼像は唯一のこる康弁銘の作品である。

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旺文社日本史事典 三訂版 「康弁」の解説

康弁
こうべん

生没年不詳
鎌倉初期の慶派の仏師
運慶の3男。父ほどの雄健さはないが自由で奇抜な作風。代表作の興福寺蔵の『天灯鬼・竜灯鬼像』(1215年作)は機知とユーモアに富む。

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