日本大百科全書(ニッポニカ) 「待庵」の意味・わかりやすい解説
待庵
たいあん
京都府乙訓(おとくに)郡大山崎(おおやまざき)町の禅刹(ぜんさつ)・妙喜庵(みょうきあん)(東福寺末寺)にある茶室。国宝。確証はないが、江戸時代から千利休(せんのりきゅう)の遺構と伝えられてきた。室町時代の書院(重要文化財)に接続して南向きに建てられ、杮葺(こけらぶ)き切妻造の前面に深い土間庇(どまびさし)を付加している。書院の縁から延段(のべだん)が土間庇に向かい、飛び石で躙口(にじりぐち)に導かれる。内部は二畳隅炉、正面に四尺床を構え、次の間と勝手一畳がついている。床は三方を塗り回した室床(むろどこ)の形式で、節が三か所もある丸太を框(かまち)に用い、床の伝統を打破し、わび茶の主張に徹した構えをくふうしている。床天井がきわめて低いのもその表れである。室内の一隅の柱を消して塗り回し、天井に化粧屋根裏を組み合わせて、狭さを感じさせない卓抜な手法をみせるとともに、下地(したじ)窓と連子(れんじ)窓の配置を通じて微妙な明暗の分布を追求して、精神性の深い緊張した空間をつくりあげている。そこには利休の理想としたわび茶の境地がみなぎっており、わびの空間造形の極致を示している。室内の小壁に掲げられている額の文字は、僧芳叔(ほうしゅく)(1735没)の筆で、昔は利休の文字を刻んだ額があったが失われたという。
[中村昌生]