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妙喜庵 みょうきあん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

妙喜庵
みょうきあん

京都府大山崎町にある臨済宗東福寺派の寺。俳人山崎宗鑑室町時代に結んだ草庵を,のちに禅寺に改めたものといわれる。国宝の茶室待庵は,豊臣秀吉千利休につくらせたものと伝えられ,桃山時代の千流茶室の典型。

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デジタル大辞泉の解説

みょうき‐あん〔メウキ‐〕【妙喜庵】

京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町にある臨済宗東福寺派の寺。山号は、豊興山。明応年間(1492~1501)ごろ、山崎宗鑑が結んだ待月庵が、のち、禅院となったもの。豊臣秀吉千利休に建てさせたと伝えられる茶室、待庵(たいあん)は国宝。

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百科事典マイペディアの解説

妙喜庵【みょうきあん】

京都府大山崎町にある臨済宗東福寺派の寺で,茶室待庵(国宝)がある。山崎宗鑑草庵であったともいわれる。待庵は千利休の作と信じ得る唯一の遺構で,荒壁に囲まれた2畳の茶室。
→関連項目大山崎[町]如庵

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世界大百科事典 第2版の解説

みょうきあん【妙喜庵】

京都府下山崎の天王山のふもとにあり,臨済宗東福寺の末で豊興山と号する。開創は,明応年間(1492‐1501)とも文明年間(1469‐87)とも伝えられる。連歌師山崎宗鑑の草庵を寺にしたともいうが,確かでない。室町時代,文明年間の書院(重要文化財)と千利休作と伝える茶室待庵(国宝)があることで知られる。3世住職功叔(?‐1594)は茶人として知られ,堺の茶人津田宗及らを招いて茶会を開いていた。彼はまた利休と親交があり,山崎に屋敷を持っていた利休はたびたび妙喜庵を訪れ,功叔あての利休書状も十数通残されている。

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大辞林 第三版の解説

みょうきあん【妙喜庵】

京都府乙訓郡大山崎町にある臨済宗東福寺派の寺。山号、豊興山。山崎宗鑑が明応年間(1492~1501)に一庵を結んだのに始まる。庵を譲られた春嶽の開山。秀吉が千利休に造らせた茶室待庵は、現存する日本最古の茶室。

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家とインテリアの用語がわかる辞典の解説

みょうきあん【妙喜庵】

京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町にある臨済宗東福寺派の寺。明応年間(1492~1501)に春嶽士芳(しゅんがくしほう)の開創と伝わる。境内に千利休(せんのりきゅう)の茶室として名高い国宝の待庵(たいあん)がある。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

妙喜庵
みょうきあん

京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町にある禅寺。臨済宗東福寺派に属し、豊興山と号す。明応(めいおう)年間(1492~1501)春嶽士芳(しゅんがくしほう)の開創と伝えられる。士芳は、天王山南麓(なんろく)にあった東福寺末地蔵(じぞう)寺の僧で、当時付近には同寺の塔頭(たっちゅう)が多数あり、妙喜庵もその一つとして創立されたとみられる。連歌(れんが)師山崎宗鑑(そうかん)が当庵に身を寄せたのはこれより後のことであろう。文明(ぶんめい)年間(1469~87)開創とも伝えられるが不詳。3世功叔士紡(こうしゅくしぼう)は茶人として知られ、津田宗及(そうきゅう)、千利休(せんのりきゅう)ら堺(さかい)の茶人と親交があった。1582年(天正10)6月の山崎合戦のあと、豊臣(とよとみ)秀吉は天王山に築城、妙喜庵は城下の「会所」として接客に用いられている。江戸時代の妙喜庵は、離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)の社領内に4石余と円明寺村に44石を領していたが、幕末には衰微し、また明治に入っては、鉄道の敷設や駅舎の建設に伴い、寺地を削られた。書院は文明年間の建築で国の重要文化財、茶室待庵(たいあん)は国宝に指定されている。[日向 進]
『吉川一郎著『大山崎史叢考』(1953・創元社)』

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