平安時代以降行われた売官の一種で,ある者に対する任官を申請した貴族(給主)が,その官職を得た者から利得を得る制度。その申請権は,平安時代初期に親王給がおこり,しだいに広がって天皇,院宮,公卿から女御,内侍にも及び,中期から最も盛んであった。内官・外官(げかん)ともに年官の対象となるが,とくに諸国の掾(じよう)(三分官),目(さかん)(二分官),史生(ししよう)(一分官)が多く,天皇は毎年掾2人,目3人,史生20人とか,納言・参議は年に目1人,史生1人とかの定数があり,二合(にごう)とか名替(ながえ)などの複雑な慣例が多いが明らかでない。給主の得分もはっきりしないが,任料を収めるのだろうという。この年官の制は,平安時代における地方政治紊乱(びんらん)の大きな原因となった。
→年給
執筆者:土田 直鎮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
年給のうち下級官職の推挙枠。9世紀半ばから発達し寛平年間に整備された。親王給・公卿給・女御(にょうご)給・尚侍給では諸国二分(目(さかん))と一分(史生(ししょう))が与えられ,内給には諸国三分(掾(じょう)),院宮給には内官・諸国三分が加わる。被推挙者が任官すると給主(推挙者)に任料を納める慣例で,この任料収取が年官制の重要な目的であった。やがて官職の価値の下落とともに任官希望者が減り,二合・臨時給・内官振替・合爵(ごうしゃく)などの方策がとられたが,鎌倉時代までに形骸化した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…【梅原 郁】
[日本]
国家の財政制度として,公然と希望者を募り,任料,叙料を納入させて任官,叙位を行う売官・売位制度が,平安時代を中心に鎌倉時代に及んで行われた。年官,年爵および成功(じようごう),栄爵がそのおもなものである。いずれも平安時代に入って調・庸の粗悪化,未納が増加し,国家財政が困難になるとともに食封(じきふ)に頼っていた皇族,貴族の経済も窮乏したため,その弥縫(びほう)策の一つとして,前者について成功,栄爵,後者について年官,年爵が成立した。…
※「年官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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