御井神社(読み)みいじんじや

日本歴史地名大系 「御井神社」の解説

御井神社
みいじんじや

[現在地名]榛原町大字檜牧小字高取

内牧うちまき川西岸に鎮座祭神は御井神・天照あまてらす大神天児屋根あめのこやね命・水分みくまり神。旧村社。「延喜式」神名帳の宇陀うだ郡「御井神社」に比定される。「延喜式神名帳頭註」に「御井素戔嗚子也母稲葉八上姫」とみえ、御井神は木俣きのまた神の別名である(古事記)。「大和志」に「在檜牧村今称食井明神」とあり、近世には食井けい明神、気比けひ明神とも称し、寛永元年(一六二四)の石灯籠には「四社大明神」とある。気比神とは伊奢沙和気いざさわけ神のことで一名を御食津みけつ大神ともいい、食物を主宰する(古事記)。文政五年(一八二二)当社境内にあった観音寺住職の筆になる神廟祭祀定式によると、古来高星たかほし檜牧ひのまき自明じみよう三郷(現榛原町)が祭祀にあずかり、分米二石九斗余の神田があったという。


御井神社
みいじんじや

[現在地名]大屋町宮本

宮本みやもと集落の中央部北側、高尾たかお山にあり、「延喜式」神名帳にみえる養父郡の同名社に比定される。旧村社。古くは現在地の北東方、御祓みはらい(七七三・一メートル)中腹標高約六五〇メートルの地にあり、岩井牛頭天王社(天文一五年「棟札写」社蔵)、あるいは単に天王社などともよばれた。御井神を主神とし、ほか素盞嗚命・手摩乳命・脚摩乳命などを合せ祀る。元来は井水の神を祀ったものと思われ、御井神の神名は大国主神と八上比売の子木俣神を「亦名謂御井神也」とする「古事記」の所伝によったものであろう。「祇園社家記録」応安四年(一三七一)七月二二日条や同五年一二月三日条には「大屋天王」とある。


御井神社
みいじんじや

[現在地名]斐川町直江町

直江なおえ町の中央よりやや南東に位置する。祭神木俣命、旧郷社。「出雲国風土記」の出雲郡御井社、「延喜式」神名帳の御井神社、「雲陽誌」の御井社に比定される。因幡の八上姫が当地のむすびの里で大己貴命の子を産み、その産湯の井があるので御井という(雲陽誌)。「出雲神社巡拝記」には三井みい大明神と記され、「神の産湯の池三ツ有り、此水呑みて安産するとて世人安産の水と云う」と記している。


御井神社
みいじんじや

[現在地名]養老町金屋

金屋かなや集落の西部、字むらうちに鎮座する。祭神は御井神。旧郷社。「延喜式」神名帳の多藝たぎ郡四座(並小)の一としてみえる「御井ミイノ神社」に比定される。美濃国神名帳には多藝郡一六社の一として従五位下御井明神と記される。もと金屋の東部に鎮座していたが、天正(一五七三―九二)頃、兵火にかかって焼失、その後も水害に度々遭い、正保年間(一六四四―四八)太夫田たゆうだの神明社境内に遷座したという。


御井神社
みいじんじや

[現在地名]各務原市三井町

三井みい川右岸、国道二一号の南に位置する旧郷社。祭神は木俣神、相殿は住吉之大神・国底立尊。三井大明神ともいう(美濃明細記)。「延喜式」神名帳の各務かかみ郡七座の一つ「御井ミイノ神社」。美濃国神名帳には正四位御井明神とみえる。祭神については「特選神名牒」に御井神とあるが、これは木俣神の別称。本来の鎮座地は現在地の東方約一キロにある三井山の中腹南面と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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