志賀義雄(読み)しがよしお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「志賀義雄」の意味・わかりやすい解説

志賀義雄
しがよしお
(1901―1989)

政治家。福岡県に生まれ、一高、東京帝国大学文学部卒業。その間、新人会に参加、学生連合会を創立、1923年(大正12)日本共産党入党した。三・一五事件(1928)で検挙され非転向で獄中生活18年。1945年(昭和20)10月出所後、党再建に力を尽くし中央委員・政治局員。1950年の党中央分裂に際しては国際派に属し第7回、第8回大会で幹部会員。また1946年総選挙で大阪から選出され、1950年マッカーサーの公職追放令で議員資格を失ったが、1955年総選挙で復帰した。1964年国会の部分核停条約に賛成投票し、党議違反で除名され、同年神山茂夫らとともにソ連共産党を支持する「日本のこえ」を結成し全国委員長となる。「日本のこえ」は1977年「平和と社会主義」と改称した。『獄中十八年』『国家論』『日本帝国主義について』などの著書がある。

[荒川章二]

『中村隆英他著『現代史を創る人々 第2巻』(1971・毎日新聞社)』『志賀義雄著『日本共産党史覚え書』(1978・田畑書店)』

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百科事典マイペディア 「志賀義雄」の意味・わかりやすい解説

志賀義雄【しがよしお】

元日本共産党幹部。福岡県出身。旧姓川本。1925年東京帝大文学部卒。在学中に日本共産党に入党。1928年三・一五事件で検挙,1932年懲役10年の判決を受ける。徳田球一らとともに非転向を貫き,1945年釈放されるまで18年近い獄中生活を送った。釈放後中央委員・政治局員となり,1946年衆議院議員に当選(以後当選6回)。1964年衆議院本会議で党議に反して部分的核実験禁止条約批准に賛成票を投じ除名。その後ソ連共産党よりの〈日本のこえ同志会〉(1977年〈平和と社会主義〉に改組)を結成。→神山茂夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志賀義雄」の意味・わかりやすい解説

志賀義雄
しがよしお

[生]1901.1.8. 福岡
[没]1989.3.6. 東京
政治家。東京大学在学中,創立早々の日本共産党に入党。 1925年卒業後,再建された同党政治局長となる。 28年徳田球一らとともに検挙され (→三・一五事件 ) ,日本の敗戦まで非転向を貫く。 45年釈放後,徳田とともに党再建の中心となる。 46年衆議院議員に当選。 50年,コミンフォルム批判をめぐる党内対立では国際派。 64年部分核停条約批准で,党決定にそむき賛成票を投じて除名され,ソ連支持の「日本のこえ」を結成,全国委員長,のち名称を「平和と社会主義」に変更し議長となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「志賀義雄」の解説

志賀義雄 しが-よしお

1901-1989 昭和時代の社会運動家。
明治34年1月8日生まれ。東京帝大在学中,学生連合会結成に参加し,共産党に入党。昭和3年三・一五事件で検挙され,18年間の獄中生活をおくる。戦後,党中央委員をつとめ,21年衆議院議員(当選6回)。39年党議違反で除名され,ソ連支持の立場から「日本のこえ」を創立,全国委員長となる。平成元年3月6日死去。88歳。福岡県出身。旧姓は川本。著作に「獄中十八年」(共著)など。

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