中国、清(しん)末から現代の文人画家、篆刻(てんこく)家。名は璜(こう)、白石は号。別に瀕生、寄園、木居士などと号した。湖南省湘潭(しょうたん)県の人。貧農の家に生まれる。16歳のとき指物(さしもの)師の徒弟に入り、絵画に関心をもち、20歳ころから独力で画(え)を学び、26歳で肖像画家蕭薌陔(しょうきょうがい)に学び、画が売れるようになる。30歳代で詩文、篆刻に励み、詩人王闔運(おうかいうん)の門人となる。40歳を過ぎて初めて湘潭を出て、中国各地を五度遊歴して名士、名画に接し、57歳で郷里の兵乱を避けて北京(ペキン)に居を定め、売画生活を送る。画風は徐渭(じょい)、石濤(せきとう)、八大山人、呉昌碩(ごしょうせき)の系統を受け継ぎ、紅花墨葉の一体を創始した。1922年(大正11)60歳のおり日本で行われた日中連合絵画展に出品し、海外にその名が知られる。一時北京の美術学校教授となったが、日中戦争中は抵抗の意を示し、革命後の53年(89歳)人民芸術家として表彰され、中国美術家協会主席となり、非常な尊敬を受けている。画は蛙(かえる)や蝦(えび)などの小品を得意とし、洋画の感化を受けず、中国の水墨・淡彩画の伝統を固守した。75歳のときより、つねに2歳を加算し、95歳で没するが、自作には97歳と題している。
[星山晋也]
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1864~1957
中国の画家。湖南省湘潭(しょうたん)県の人。名は潢(こう),白石は号。若年より売画生活を続け,終始在野の画家で過ごした。中国文人画の最後を飾る画家で,自然の一木一虫の類いを巧みに描き,人民画家として中華人民共和国で尊崇されている。
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…中国の画家。幼名を阿芝,璜は名,字を渭青,号を白石といい,ふつう斉白石で知られる。湖南省湘潭県の人。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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