(1)平曲の曲名。《実盛最期》とも称する。平物(ひらもの)。平家の軍勢は加賀の篠原(しのわら)で木曾義仲に破られて敗走したが,斎藤別当実盛はただ一騎踏みとどまって奮戦した。赤地錦の直垂(ひたたれ)に萌葱(もえぎ)の鎧というその晴姿を見て,手塚太郎光盛(てづかのたろうみつもり)が名のりかけたが,実盛はわざと名のらず,手塚の家来を馬の鞍に押さえつけて首を押し切った。しかし老武者のこととてしだいに疲れが出て,ついに手塚に討たれた(〈中音(ちゆうおん)〉)。手塚はその首を義仲に見せ,錦の直垂なので大将かと思うと続く家来もないふしぎな武者だったと報告する。義仲は,もしや斎藤実盛ではないかと言って樋口次郎に見せると,たしかに実盛だと言う。70歳を越えたはずなのに髪が黒いのは,年寄っても敵に侮られたくないと前々から話していたので髪を染めたのだろうと言って洗わせてみると,もとの白髪になった(〈サシ声・初重(しよじゆう)〉)。錦の直垂は,東国出身の実盛が,故郷へは錦を着て帰るという故事を引いて願い出て,とくに許されたものだった。唐土の朱買臣は錦のたもとを会稽山(かいけいざん)に翻し,今の実盛は名を北国のちまたにあげたのであった(〈三重〉)。
合戦物に常用する拾イの曲節を用いてないのは,老武者の最期という内容に即した作曲のためであろう。
(2)能の曲名。二番目物。修羅物。世阿弥作。シテは斎藤実盛の霊。遊行上人(ゆぎようしようにん)ほか阿弥陀仏が加賀の篠原で布教したおり,毎日来る老人(前ジテ)があるが,その姿は上人以外の目に見えない。ある日上人が問いただすと,この地で討死した斎藤実盛の霊だと告げて去る。上人が法要を営むと,昔の戦陣の姿で霊(後ジテ)が現れ,戦死前後のできごとを平曲のとおりに物語る。初めは染めた髪が洗われて白髪に戻った話(〈語リ・上歌(あげうた)〉),次が錦の直垂を着た話(〈クセ〉),最後に手塚たちと戦って討死した話(〈ロンギ・中ノリ地〉)と続いて終曲となる。事件の時間的順序を逆にした配列が作能術として効果を上げていることは,世阿弥自身がすでに述べている。《頼政》とともに現行ただ二つの老武者物で,古武士の気質を緊密な構成の中にしっかり描いている。前ジテを幽霊めかして人の目に見えないように書いたのは,そうしたうわさ話が当時実在したためのようだが,能としては珍しい。人形浄瑠璃《源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)》の原拠。
執筆者:横道 万里雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
能の曲目。二番目物。重厚に描かれた修羅能の名作。五流現行曲。出典は『平家物語』。斎藤実盛の亡霊が没後200年目に、戦死した首洗い池のほとりで遊行上人(ゆぎょうしょうにん)に回向(えこう)を求めたという、『満済准后(まんぜいじゅごう)日記』にも記されているニュースを、世阿弥(ぜあみ)が早速に脚色した能とされる。加賀国(石川県)篠原(しのはら)の里で遊行上人(ワキ)が法会をしているところへ、毎日聴聞にくる老翁(前シテ)があった。他の人に姿が見えぬ翁(おきな)に、上人が名を名のれというと、執心残った実盛の亡霊と告げて消える。僧の弔いに、ありし日の姿で現れた実盛の霊(後シテ)は、故郷へ錦(にしき)を飾るため赤地の錦の武装で出陣し、白髪を黒く染めた老武者の心意気を語り、源義仲(よしなか)を討とうとするが阻まれて戦死を遂げた無念、首が洗われて白髪になる話が、巧みな倒置法の手法で描かれ、成仏を願って消える。『頼政(よりまさ)』『朝長(ともなが)』とともに三修羅とよばれ、重い扱いをされる難曲の能。
[増田正造]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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