1957年設立の原発専業会社。東京電力ホールディングスをはじめ大手電力9社と電源開発(Jパワー)などが出資する。国内初の商用原発の東海発電所(茨城県)と敦賀原発1号機(福井県)は廃炉作業中。敦賀2号機は原子炉建屋直下に活断層があると指摘され、再稼働は見通せない。2019年3月期の連結売上高は1133億円、純利益は33億円。保有原発の停止で販売電力量はゼロだが、大手電力から受け取る基本料金が収益源となり経営を維持している。
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民間電力会社。原子力発電の専業会社として、9電力会社および電源開発株式会社の共同出資により、1957年(昭和32)に設立された。設立にあたっては、民間主導案と政府主導案が対立したが、結局、民間主導案に沿った形での会社発足となった。日本原子力発電は、1966年に茨城県那珂(なか)郡の東海発電所で、日本初の商業ベースでの原子力発電を開始した。東海発電所1号機が採用したのはイギリスのコールダーホール改良型炉であったが、その後日本の原子力発電所では、技術進歩をとげたアメリカの沸騰水型軽水炉や加圧水型軽水炉が使用されるようになった。しかし、日本原子力発電東海発電所の建設・運転に9電力各社の技術者が多数参加し、多くの貴重な体験を持ち帰り、自社における原子力開発に活用したことは間違いない事実である。1970年に敦賀(つるが)原子力発電所(福井県敦賀市)、1978年に東海第二原子力発電所(茨城県那珂郡)の運転をそれぞれ開始。このうち敦賀原子力発電所は、沸騰水型軽水炉(1号機)と加圧水型軽水炉(2号機)が同じ敷地内に並存する、日本で唯一のユニークな原子力発電所である。1998年(平成10)に東海発電所は営業運転を終了し、2001年から、日本で初めての原子力発電所の廃止措置に取り組んでいる。資本金1200億円(2008)、売上高1784億円(2008)。東海第二、敦賀の2原子力発電所をもつ。
[橘川武郎]
『日本原子力発電株式会社編・刊『日本原子力発電三十年史』(1989)』▽『橘川武郎著『日本電力業発展のダイナミズム』(2004・名古屋大学出版会)』
日本の原子力開発の初期段階において,原子力発電の商業化を目的として設立された会社。略称,原電。1957年,電力会社9社,電源開発,日本原子力,第一原子力などの原子力産業5グループなどが出資して設立された。電気事業法上は電力会社に電気を売る卸電気事業者。60年,日本最初の原子力発電所である東海発電所(茨城県東海村)の建設に着工し,66年に運転を開始した。この原子力発電所はイギリスのゼネラル・エレクトリック社(GEC)のガス冷却炉(GCR)を導入したもので,出力は16万6000kWである。この発電所の建設,運転を通じて得られた経験と知識は,その後の日本の原子力開発の基礎となった。その後,福井県敦賀市に敦賀発電所1号機(1966着工,70運転開始),東海第2発電所(1973着工,78運転開始)を建設した。また,82年には敦賀発電所2号機に着工,87年運転開始した。なお東海第1発電所は98年末運転停止し,2015年廃炉の予定。03年度発電電力量186億kWh。資本金1200億円(2004年3月),売上高1411億円(2004年3月期)。
執筆者:田中 隆之
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…60年臨界となった第2の研究炉JRR‐2もアメリカ製であったが,国産炉の開発も進められ,天然ウラン燃料・重水減速型の国産1号炉(JRR‐3)が62年9月に臨界となった。 原子力発電の実用化は,日本原子力発電(株)の手による東海1号炉の完成に始まる。当初,日本原子力研究所の試験用発電炉を経たのち電気事業者による実用炉へ進むということが基本方針とされていたが,原子力発電はすでに実用化時期に近づいているとの見通しが55年ころから国際的に喧伝されていたこともあって,原子力発電推進体制を早期に決める必要性に迫られた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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