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明法道 みょうぼうどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

明法道
みょうぼうどう

律令制の大学寮における4学科の一つ。大宝令では独立の学科ではなかったが,試験科目としては明法の1科も存在した。天平2 (730) 年律学博士 (のち明法博士と改められた) 2名,学生 10名がおかれ,大学寮の学科四道の一つとなった。

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デジタル大辞泉の解説

みょうぼう‐どう〔ミヤウバフダウ〕【明法道】

律令制大学寮での四道の一。律・令・格・式など法律学を学ぶ学科。奈良中期に明経道から独立して新設。

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百科事典マイペディアの解説

明法道【みょうぼうどう】

律令制下の大学寮における四道の一つ。律令を専攻する学科。730年に独立学科となったが,高級貴族には法律学修得の必要がなく,このため平安中期には令制の衰微に伴って衰退,坂上(さかのうえ)・中原両家の家学となった。
→関連項目政事要略明経道

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世界大百科事典 第2版の解説

みょうぼうどう【明法道】

律令制下,大学寮に設けられた4学科の一つ。大宝令制では経学(のち明経(みようぎよう)道)が本科であり,法(律令)の学である明法はまだ学科となっていなかった。しかし728年(神亀5)の律学博士設置をうけて,730年(天平2)には博士2名,学生10名が創設されて明法が学科として独立し,さらに802年(延暦21)には学生10名が増員された。8世紀中葉から9世紀中葉にいたる時期は,大陸からの継受法たる律令の咀嚼(そしやく)・吸収の時期であり,明法道も一時隆盛に向かった。

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大辞林 第三版の解説

みょうぼうどう【明法道】

律令制の大学寮における学科の一。律令を専攻する。730年頃制度化され、明法博士・明法の生が置かれた。以後明経・文章(紀伝)・算と合わせて四道と称せられた。平安中期にははじめ惟宗氏、のち坂上・中原両氏が教官を世襲するようになって家学化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

明法道
みょうぼうどう

大学寮の一学科で、律令(りつりょう)の研究、教授を行った。教官を明法博士(はかせ)、学生(がくしょう)を明法生と称するが、令の規定にはみえず、728年(神亀5)に教官2、学生10を置いた。令制に明法道の教科書はみえないが、学生は律と令とを学んだと思われ、『延喜式(えんぎしき)』では律を大経、令を小経に准じ講説すると規定している。
 明法道出身者を試験する明法試は律令10条を問い、義理に識達し問われて疑滞なきものを通とし、全通を甲、8以上通を乙とし、位階を与えた。明法道出身者は多く刑部(ぎょうぶ)省、弾正台(だんじょうだい)、衛門府(えもんふ)などの官人に採用され、専門知識を生かした。法律知識を有する官人への需要は多く、802年(延暦21)には明法生の定員が20人に加増されている。ただし刑獄を扱うことから上級貴族にして明法道に学ぶものは少なく、教官、学生ともに卑姓出身者で占められた。律令を習得した明法生が明法試を受けるのが令規であるが、10世紀後半になると明経得業生(とくごうしょう)ないし准得業生の宣旨(せんじ)を受けたもののみが明法試を奉ずるようになった。9世紀から11世紀にかけて讃岐(さぬき)氏や惟宗(これむね)氏から卓越した明法家が輩出したが、11世紀末になると坂上(さかのうえ)、中原両氏が明法博士家として固定し世襲となった。[森田 悌]
『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店)』

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世界大百科事典内の明法道の言及

【坂上氏】より

…その子が蝦夷征討に活躍した田村麻呂(たむらまろ)で,征夷大将軍となり,武功により従三位にのぼり,さらに正三位大納言となる。田村麻呂ののちは武門氏族としての坂上氏はおとろえたが,平安時代末期に明法道(みようぼうどう)の家として再び名をあげる。すなわち定成(1088没)が坂上氏としてはじめて明法博士となり,ついで明経道の中原氏から定成の養子になったと推定される明法博士範政は,〈法家坂上一流の祖〉と称された。…

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