朝来(市)(読み)あさご

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝来(市)」の意味・わかりやすい解説

朝来(市)
あさご

兵庫県中部北寄りにある市。北東部を京都府と接する。2005年(平成17)、朝来生野町(いくのちょう)、和田山町(わだやまちょう)、山東町(さんとうちょう)、朝来町が合併して市制施行、朝来市となる。市名は郡名を採用。市域の大部分は播但(ばんたん)山地に展開。南部の分水界に発する円山川(まるやまがわ)は、市の中央を北流して豊岡市域に抜け、のち日本海に至る。やがて播磨灘(はりまなだ)に注ぐ市川(いちかわ)は、市の南東部を源流とし、黒川(くろかわ)渓谷などの谷を刻みながら南西に流れる。円山川とその支流域に狭小な平地が開ける。JR山陰本線、国道9号、427号が北部を横断、和田山(駅)で分岐する播但線、国道312号は、市の南部域を縦断して神崎(かんざき)郡神河(かみかわ)町域に抜ける。南東部を国道429号が走る。和田山地区は交通の要衝で、南丹地方の政治、経済の中心。312号に並行する播但連絡道路と北近畿豊岡自動車道(きたきんきとよおかじどうしゃどう)も和田山ジャンクションで接続する。

 和田山町平野(ひらの)の池田古墳(いけだこふん)は但馬地方最大の前方後円墳、同町筒江(つつえ)の茶すり山古墳(国指定史跡)は中期の大型円墳で、但馬地域を掌握した首長の墓とみられる。古代の山陰道は市域北部を通り、粟賀(あわが)駅が置かれていた。枚田(ひらた)の赤淵神社(あかぶちじんじゃ)は『延喜式』記載の同名社に比定され、本殿は国指定重要文化財。かつて当地は、但馬と播磨、丹波の国境の要衝として重視され、広谷(ひろたに)荘、伊由(いゆ)荘、竹田(たけだ)荘、与布土(ようど)荘、朝来荘など、成立した荘園の多くが皇室領や摂関家領、また関東御領であった。室町時代には但馬の守護山名氏が領したが、1443年(嘉吉3)山名持豊は播磨の赤松氏に備えて、守護代太田垣氏に竹田城を築かせたという。以後太田垣氏が同城を拠点に朝来郡を管轄。応仁の乱では侵入した丹波の細川勢を太田垣勢が夜久野(やくの)で撃退している。16世紀に生野銀山の採掘が始まり、太田垣氏の支配下に銀山町が成立、1569年(永禄12)織田信長が銀山を接収。豊臣政権下で竹田城主として入部した赤松広秀は、同城を大改修。広秀改修とされる石垣遺構が完存する竹田城跡は国指定史跡。江戸時代、生野銀山は幕府が直轄、最盛期には灰吹銀高は1千貫を超え、銀山町の人口も2万人を数えたという。銀山は1973年(昭和48)に閉山となったが、現在は史跡として整備されている。15世紀末から銀を産出したという神子畑鉱山(みこばたこうざん)は、江戸初期頃までが盛期であった。明治維新後、優良鉱脈が外国人技師によって発見され、ふたたび活況を呈したが、1909年(明治42)に近くの明延鉱山(あけのべこうざん)(養父(やぶ)市)で錫鉱が発見され、神子畑鉱山は衰退。一方で、明延産出の錫鉱の大規模な選鉱場が神子畑に建設された。鉱石運搬道路に架けられた明治期の神子畑鋳鉄橋は国指定重要文化財、旧神子畑鉱山事務舎(技師ムーセの旧居)は県指定文化財。なお生野、明延、神子畑鉱山関連遺産は、生野鉱山の名称で経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。

 現在の基幹産業は農林畜産業で、米作、肉牛、乳牛飼育や養鶏が盛ん。東部は朝来群山(ぐんざん)県立自然公園、北部は出石糸井(いずしいとい)県立自然公園に属し、市川をせき止めた人口湖の銀山(ぎんざん)湖(生野銀山湖)、生野高原など豊かな自然と史跡を生かした観光の活性化が計られている。地場産業の竹田家具は赤松広秀が漆器作りを奨励したことに始まるという。半導体関連、金属バネなどの工場のほか、生野工業団地、和田山工業団地が造成され、進出・操業する企業も多い。面積403.06平方キロメートル、人口2万8989(2020)。

[編集部]


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