本居長世(読み)モトオリナガヨ

デジタル大辞泉 「本居長世」の意味・読み・例文・類語

もとおり‐ながよ〔もとをり‐〕【本居長世】

[1885~1945]作曲家。東京の生まれ。宣長のりながの子孫。大正から昭和初期の童謡作曲家として活躍した。代表作赤い靴」「七つの子」「十五夜お月さん」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「本居長世」の解説

本居 長世
モトオリ ナガヨ


職業
作曲家 ピアニスト

別名
筆名=本居 長予(モトオリ ナガヨ),本居 一浩(モトオリ イッコウ),本居 如月

生年月日
明治18年 4月4日

出生地
東京府 下谷区(東京都台東区)

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)ピアノ科〔昭和42年〕卒

経歴
鈴屋大人こと本居宣長を6代前の祖先に持つ国学の名門に生まれる。祖父は同じく国学者で大正天皇の皇太子時代に東宮侍講を務めた本居豊穎であり、実父の于信も国文学者として知られたが、生後1年で母を失い、養子であった父も直後に家を出たことから、祖父のもとで育てられる。本居家唯一の男子であるため嫡子として扱われ、家学の継承を期待されるが、13歳のとき、母と実父の前に養子となっていた人物との間に生まれた兄と名乗る人物が現れことからお家騒動に巻き込まれ、煩悶のうちに青年時代を送った。やがて少年時代から好んでいた音楽を志望するようになり、祖父の理解を得て明治35年東京音楽学校(東京芸術大学)予科に入学、幸田延、アンナ・ラールにピアノを学んだ他、東京帝国大学に勤務していた哲学者で、我が国初のオペラ上演となった歌劇研究会による「オルフォイス」初演でピアノ伴奏を務めたラファエル・フォン・ケーベルの個人レッスンを受けた。36年同科を首席で卒業後、本科器楽科に進むが、病気のため留年し山田耕筰と同期になる。41年同部を全学部通じて首席で卒業したあとも同校に残り、43年器楽部助教授に就任。文部省邦楽調査掛兼任として長唄の調査研究も行う。この間、42年頃から作曲をはじめるようになり、43年に開催されたフィルハーモニー第1回演奏会では自作の「数へ歌ヴァリエーション」を自演。また歌劇も数多く手がけており、45年に作曲した喜歌劇「うかれ達磨」は大正3年の宝塚少女歌劇団の記念すべき第1回公演で上演された。4年脳溢血で倒れ危篤状態に陥り、奇跡的に回復するも、右手指に後遺症が残ったためピアニストを断念。4年には音楽学校を退き、以後は作曲に専念した。7年弟子の弘田竜太郎らとともに自作を演奏するためのグループ、如月社を結成。また尺八奏者の吉田晴風や箏曲家の宮城道雄らと交流して尺八曲「和子鈴慕」「想夫恋」「流れの汐」などを発表、“新日本音楽”を標榜して洋楽と邦楽との融合を試みた。初期、鈴木三重吉編集の童話雑誌「赤い鳥」の創刊を機に童謡運動が起こると、自身も9年斉藤佐次郎主宰の「金の船」(のち「金の星」)を中心に童謡を次々と作曲。特に詩人野口雨情とのコンビでは「葱坊主」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」などといった現在も歌い継がれている名曲を数多く世に送り出した。同年発表の野口の作詞による「十五夜お月さん」は自身も満足の行く出来であっただけでなく、童謡を立派な芸術品に仕上げた金字塔的作品として後世からも高く評価されている。なお、同曲は同年の初演の際に長女のみどりが歌っており、日本初の童謡歌手として人気を集めた。野口の他にも西条八十「別れた人に」「お山の大将」「お月さん」、北原白秋「わらび」「雪の降る晩」、葛原しげる「柳の芽」「蛙の子」、藤森秀夫「めえめえ児山羊」、若山牧水「ダリア」、島木赤彦「からす」、“童謡の宮様”といわれた澄宮(三笠宮崇仁親王)の「馬」「金魚」、自身の詩による「ないしょ話」「汽車ポッポ」、江戸時代のわらべ歌の「通りゃんせ」などに曲をつけており、西洋の音階と日本の伝統音階を巧みに重層させた作風で、“日本童謡の祖”といわれる。作曲だけでなく、自身も3人の娘(みどり、貴美子、若葉)を伴って各地を巡演し、娘たちに自作を歌わせて童謡の普及に大きく貢献した。12年には関東大震災答礼音楽会を開くためハワイや米国本土にも赴き、好評をもって迎えられた。昭和7年一浩に改名し、本居オープンスタジオを開設してピアノや作曲、歌唱を教授。9年名を長世に戻すが、のち長予に改めた。同年から明治天皇の御製百首の作曲を進め、10年に明治神宮で完成奉告式を行う。その後は仏教歌の作曲にも取り組むが、晩年は長女を亡くし、また胃潰瘍で苦しみ、20年創作活動を辞めてピアノも売却し、終戦直後に没した。他の作品に器楽曲「君が代変奏曲」「ノクターン」「晩秋」、歌劇「夢」「項羽と劉邦」「死神」「日の出神楽」、合唱曲に「蟻の行列」「宝船」「落葉栗かよ」「山の小屋」「木枯」、小曲に「別後」「乙女」「枯山歌」「萱の千駄も」などがあり、作品集に「本居合唱曲集」「新作童謡」「本居長世童謡曲全集」がある。平成12年には縁の深い松阪市に本居長世メモリアルハウスが開館した。弟子に中山晋平、藤山一郎、金田一春彦らがいる。

没年月日
昭和20年 10月14日 (1945年)

家族
祖父=本居 豊穎(国学者),父=増田 于信(国文学者),長女=本居 みどり(童謡歌手),二女=本居 貴美子(童謡歌手),三女=本居 若葉(童謡歌手)

伝記
本居長世―日本童謡先駆者の生涯「演歌」のススメ「金の船」ものがたり―童謡を広めた男たち 松浦 良代 著藍川 由美 著小林 弘忠 著(発行元 国書刊行会文芸春秋毎日新聞社 ’05’02’02発行)

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20世紀日本人名事典 「本居長世」の解説

本居 長世
モトオリ ナガヨ

大正・昭和期の作曲家,ピアニスト



生年
明治18(1885)年4月4日

没年
昭和20(1945)年10月14日

出生地
東京市下谷区(現・東京都台東区)

別名
筆名=本居 長予(モトオリ ナガヨ),本居 一浩(モトオリ イッコウ)

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科〔昭和42年〕卒

経歴
明治から大正にかけて「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「十五夜お月さん」「お山の大将」など童謡を数多く作曲した“日本童謡の祖”。幸田延、ケーベルに師事。明治43年東京音楽学校助教授となり、文部省邦楽調査掛兼任として長唄の調査研究を行う。西欧の音階と日本のわらべ歌の音階を巧みに取り入れ、歌いやすい新しい童謡を雑誌「金の船」(のち「金の星」)などに次々に発表した。ほかに歌劇、器楽曲、唱歌、民謡と作曲は多岐にわたり、また尺八による邦楽作品も手掛けた。作品集に「本居合唱曲集」「新作童謡」「本居長世童謡曲全集」がある。本居宣長の正系。昭和60年誕生100年を記念して、東京都の目黒不動尊境内に記念碑が建てられた。平成2年三女宅から自筆の譜が発見される。12年三重県松阪市に本居長世メモリアルハウスが開館した。

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改訂新版 世界大百科事典 「本居長世」の意味・わかりやすい解説

本居長世 (もとおりながよ)
生没年:1885-1945(明治18-昭和20)

東京出身の作曲家。1908年東京音楽学校本科を卒業。続いて母校で教鞭をとるかたわら,文部省が行った邦楽の調査研究にもたずさわる。18年,弘田竜太郎,大和田愛羅ら同窓の音楽家とともに〈如月社〉を結成し,西欧の音楽を受容しつつ新しい日本音楽を創造する方向を探る。この探求は,やがて尺八の吉田晴風や箏の宮城道雄と組んでの新日本音楽運動へと発展する。同時に山田耕筰中山晋平らとともに大正から昭和にかけての童謡運動に深く身を投じ,《金の船》《童話》などの雑誌に多くの作品を発表した。主要作品は,おとぎ歌劇《月の国》(1909),ピアノ曲《数え唄バリエーション》(1910),童謡の《めえめえ小山羊》《汽車ポッポ》《七つの子》《十五夜お月さん》など。作品集に金田一春彦編《本居長世作品選集》(1982),また詳細な評伝に金田一春彦著《十五夜お月さん 本居長世 人と作品》(1983)がある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本居長世」の意味・わかりやすい解説

本居長世
もとおりながよ
(1885―1945)

作曲家。東京生まれ。本居宣長(のりなが)の正系で、筆名は長予。1908年(明治41)東京音楽学校本科卒業。初期には御伽(おとぎ)オペラ『月の国』、小オペラ『夢』などを発表したが、のち童謡や歌曲に日本的な要素を含む佳作を多く生み、大正から昭和初期にかけての童謡隆盛の一角を担った。20年(大正9)に宮城(みやぎ)道雄らとともに「新日本音楽運動」をおこし、邦楽界にも大きな影響を与えた。主要作品は『赤い靴』『青い目の人形』『七つの子』『めえめえ子山羊(こやぎ)』『十五夜お月さん』など。

[船山 隆]

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百科事典マイペディア 「本居長世」の意味・わかりやすい解説

本居長世【もとおりながよ】

作曲家。のちに長予に改める。本居宣長の後裔。1908年東京音楽学校を卒業し,母校で教鞭をとるかたわら邦楽調査掛を兼任。邦楽を基礎に西欧の音楽も取り入れた新しい日本音楽の創造を目指し,1920年には宮城道雄らと新日本音楽運動を起こした。曲のジャンルは多岐にわたるが,大正から昭和にかけて童謡運動に深く関わり,《金の船》などに多くの作品を発表,《十五夜お月さん》《めえめえ小山羊》《七つの子》《赤い靴》などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本居長世」の意味・わかりやすい解説

本居長世
もとおりながよ

[生]1885.4.4. 東京
[没]1945.10.14. 東京
作曲家。別名一浩,長予。本居宣長5代の孫。 1908年東京音楽学校卒業。 10年同校助教授。中山晋平,弘田竜太郎,藤井清水らを指導。雅楽調査員をつとめて,古曲の五線譜化に尽力。 20年以降,野口雨情と組んで『十五夜お月さん』『七つの子』『青い目の人形』などを発表。3人の娘と全国に演奏旅行をし,日本の童謡音楽の普及に努めた。主作品『赤い靴』『お山の大将』『めえめえ小山羊』『汽車ポッポ』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本居長世」の解説

本居長世 もとおり-ながよ

1885-1945 大正-昭和時代の作曲家。
明治18年4月4日生まれ。本居宣長(のりなが)の子孫。明治43年母校東京音楽学校(現東京芸大)の助教授となり,邦楽の調査・研究もおこなう。宮城道雄らと新日本音楽運動をおこし,また山田耕筰らと童謡運動にくわわる。作品に小歌劇「夢」,童謡「赤い靴」「七つの子」など。昭和20年10月14日死去。61歳。東京出身。筆名は長予。

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367日誕生日大事典 「本居長世」の解説

本居 長世 (もとおり ながよ)

生年月日:1885年4月4日
大正時代;昭和時代の作曲家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の本居長世の言及

【宮城道雄】より

…保守的な邦楽界は冷淡だったが,文化人,評論家,洋楽作曲家の注目を浴び,しだいに各界人士の支持・後援を得るにいたる。20年洋楽系の本居長世との合同作品発表会の際に吉田の発案で〈新日本音楽〉と銘打ったが,以来これが宮城,吉田らの新作活動の通称となった。23年以来宮城は初世中尾都山とも提携,帯同して各地を巡演,都山流の組織により宮城曲は全国的に普及する。…

※「本居長世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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