日本歴史地名大系 「本蓮寺」の解説
本蓮寺
ほんれんじ
本蓮寺
ほんれんじ
法華宗(本門流)の名刹。山号は経王山。もとは京都本能寺と
延宝五年(一六七七)の日進在住諸事覚書や、元禄一六年(一七〇三)の由緒書(ともに寺蔵文書、以下同)などによると、南北朝時代
本蓮寺
ほんれんじ
本蓮寺
ほんれんじ
天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉禁制(県史三)が下され、慶長(一五九六―一六一五)頃徳川家康の小休所となり、天目台と茶入箱を与えられ、その縁由により慶安二年(一六四九)寺領七石の朱印状を受けた(相中留恩記略)。
本蓮寺
ほんれんじ
本堂は
「吾妻鏡」文治元年(一一八五)七月七日条によると大橋氏の三世貞能は平家一族で、四世通貞の母は原大夫高春の女という。高春は同書元暦元年(一一八四)三月一三日条によると尾張国住人である。この縁で通貞の子一妙丸貞経が「尾張国愛知・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報