日本歴史地名大系 「細工町」の解説
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
南は
寛文九年(一六六九)の城下町絵図には町名はみえないが、横町にあたる地に
細工町
さいくまち
元和五年広島城下絵図に町間数一町四間とあり、寛永二年広島町数家数改め(済美録)では「猿楽・細工町」として本家八七軒・借家一八二軒が記され、二つ合わせて一町扱いとする。「知新集」には町門一、町間数二丁六歩七厘三毛、竈数五八(本竈二一・借竈三七)、人数二四三(男一三五・女一〇八)、うち本道医二人、塗師などの職人計六人を記す。町内には城下第一の薬店といわれた世並屋市郎左衛門家、代々藩の勘定所御用聞を勤めた米屋忠左衛門家、天明年間(一七八一―八九)組頭役兼船年寄を勤め、のち勘定所御用聞・産物方筆頭、また町年寄にもなった新興の穀物質貸商長門屋権八家、代々組頭・年寄の役を勤め藩の扶持商人となった繰綿商の伊予屋元三郎家、代々端物商を営み唐端物改問屋・組頭などを勤めた山形屋彦五郎などの商人が居住(知新集)。
細工町
さいくまち
細工町
さいくちよう
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
細工町
さいくまち
細工町
さいくのちよう
細工町
さいくちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報