愛媛県の中央部にある市。2004年(平成16)に温泉(おんせん)郡の重信町(しげのぶちょう)と川内町(かわうちちょう)が合併、市制施行して成立(温泉郡は消滅)。北から西は松山市と接し、北東端の今治市、西条市との境にそびえる東三方ヶ森(ひがしさんぽうがもり)(1233メートル)の麓を水源とする重信川が山間地帯の山之内の南端の大畑(おおばたけ)で平地に出、典型的な扇状地を形成する。同川は伏流を繰り返しながら南流し、市域南西部で西に流れを変えて松山平野に入る。北境には白潰(しらつえ)(1156メートル)、明神ヶ森(1217メートル)、福見(ふくみ)山(1053メートル)などが連なる。伊予鉄道横河原(よこがわら)線が通り、国道11号、494号が走る。松山自動車道の川内インターチェンジがある。
松山平野の東端にあたる北方(きたがた)の宝泉(ほうせん)で銅矛が出土している。南隣の南方(みなみがた)にある川上神社古墳は方墳で、横穴式石室の玄室の壁には県下最大級の一枚石が使われている。また金銅装の鞍金具など馬具類が豊富に出土した。室町時代には則之内(すのうち)の標高900メートルの山中に大熊城が築かれ、河野氏の一族戒能(かいのう)氏が拠った。江戸時代はほぼ松山藩領。松山から讃岐に向かう金毘羅(こんぴら)道が通り、南方、松瀬川(ませかわ)には伝馬屋や商家が立ち並んで賑わった。
主要産業は林業と農業で、米、裸麦、タマネギ、ミカン、イチゴや花卉などを栽培する。とくに裸麦は全国有数の産地である。重信工業団地が立地し、愛媛大学医学部と附属病院、国立病院機構愛媛医療センターがある。南部は皿ヶ嶺連峰県立自然公園に含まれ景勝地にも恵まれている。面積211.30平方キロメートル、人口3万3903(2020)。
[編集部]
愛媛県中央部の市。2004年9月川内(かわうち)町と重信(しげのぶ)町が合体して成立した。人口3万5253(2010)。
東温市中東部の旧町。旧温泉郡所属。人口1万1043(2000)。重信川の源流部を占め,東縁は伊予灘に注ぐ重信水系と燧(ひうち)灘に注ぐ中山水系の分水界をなす。中央を重信川が西流し,松山平野南東端の低地が開ける。谷口集落の川上は松山,西条,面河(おもご)へ至る交通の要地で,近世には宿場が形成され,商家が立ち並び,伝馬屋も置かれた。農林業が町の基幹産業で,米麦作のほか,ミカン,野菜の栽培,養蚕が行われる。近年松山市への通勤者が増加している。町域南縁は皿ヶ嶺連峰県立自然公園に属し,白猪ノ滝,唐岬ノ滝がある。西端の吉久にはオキチモズク(天)の発生地がある。松山自動車道,国道11号線が通じる。
東温市西部の旧町。旧温泉郡所属。人口2万3658(2000)。重信川の中・上流域を占め,南部は石鎚山脈,北部は高縄山地で,中央を重信川が西流し,松山平野に属する低地が開ける。西は松山市に隣接し,伊予鉄道,国道11号線が通じる。古くからの穀倉地帯であったが,近年は松山市の近郊地域として県営住宅,愛媛大学医学部・付属病院が建設されるなど都市化が進んでいる。米作のほか,ミカン,イチゴ,花卉を多く産する。北吉井のビャクシン(イブキ)は国指定の天然記念物である。町の南縁は皿ヶ嶺連峰県立自然公園に属し,重信川上流の奥重信は景勝地として知られる。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新