東芝[株](読み)とうしば

百科事典マイペディアの解説

東芝[株]【とうしば】

1875年田中久重の開いた田中製造所(電信機工場)が1904年三井の手に入って芝浦製作所となり,1890年白熱舎として創立の東京電気と1939年合併して東京芝浦電気,さらに1984年東芝となる。日立製作所と並ぶ日本の代表的な総合電機メーカー。製品は重電部門以外に情報機器,家電をはじめ,医療機器・半導体など。原子力発電機器で業界をリード。半導体も首位浮上,パソコン事業は改善へ向かう。三井系(三井財閥参照)であるが米国のゼネラル・エレクトリックも出資。2001年,世界で初めてHDD&DVDビデオレコーダーを商品化。2006年原子力発電事業を強化するために米国ウェスティング・ハウスを総額54億ドルで買収した。本社東京,工場府中,青梅など。世界同時不況で,2009年3月期売上げは大幅減少,最終損益は赤字,2010年3月期は,売上げはさらに落ち込んだが,最終損益は若干改善された。2011年3月期売上高6兆3985億円。資本金4399億円(2011)。売上構成(%)の概要は,デジタルプロダクツ33,電子デバイス20,社会インフラ33,家庭電器9,その他5。海外売上比率55%。
→関連項目トーア・スチール[株]東芝機械[株]ネオンサイン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

とうしば【東芝[株]】

日立製作所と並ぶ,日本を代表する総合電機メーカー。1875年,天才発明家田中久重により田中製造所として個人創業されたのに始まる。電信機の製造を行ったが,93年三井銀行(1898年にはさらに三井鉱山)が継承し芝浦製作所と改称,1904年独立・改組して(株)芝浦製作所となった。09年ゼネラル・エレクトリック社(GE)と提携。芝浦製作所は当時一般機械類を主に,発電機,電動機などの電気機械を製造していたが,電力開発の活発化に伴い,各種重電機器の製造を中心とするようになり,大正末期には日本最大の重電メーカーになった。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の東芝[株]の言及

【コンピューター産業】より

…これは日本最初の実用機で,記憶装置に水銀の遅延回路を使い,二極管500本,その他の真空管1200本で回路が構成された。また,東京大学と東京芝浦電気(現,東芝)が1952年ころから共同開発を始めた真空管式のTACは,59年に開発を終えたが,実用機としては使われなかった。政府は,コンピューターの開発に最先端の技術を要し,その利用は産業全般に計り知れない影響を与えるという認識に基づいて,1957年〈電子工業振興臨時措置法〉を制定し,コンピューター産業に対する政策的位置づけを明確にした。…

【田中久重】より

…54年(安政1)佐賀藩の精煉方に仕官し,中村奇輔,石黒寛二らとともに,日本最初といわれる模型の蒸気機関車をつくりあげた。73年(明治6)上京,75年銀座に田中製作所という日本最初の民間機械工場を開業し,その後これは養子2世田中久重(幼名金子大吉)の手を経て芝浦製作所となり,現在の東芝に成長していく。【立川 昭二】。…

【ネオンサイン】より

…日本では,1918年に東京銀座の谷沢鞄店で用いたのが最初であるという。東京電気(東芝の前身)が国産ネオン管の製作に成功して,26年に日比谷公園納涼会で点灯され,以後急速に普及した。とくに第2次世界大戦前のネオンサイン全盛期である昭和初期には〈赤い灯,青い灯〉と当時の流行歌にもその情景が歌い込まれている。…

※「東芝[株]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

公示地価

地価公示法(昭和44年法律第49号)に基づき、国土交通省が毎年1回公示する標準地の価格のこと。「住宅地」「商業地」「宅地見込地」「準工業地」「工業地」「市街化調整区域内宅地」「市街化調整区域内林地」に...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android