東電OL殺害事件(読み)とうでんおーえるさつがいじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東電OL殺害事件」の意味・わかりやすい解説

東電OL殺害事件
とうでんおーえるさつがいじけん

1997年(平成9)3月19日夕、東京都渋谷区円山町(まるやまちょう)のアパート1階の空き室で、39歳の東京電力女性社員の他殺死体が発見された事件。近くに住んでいたネパール人男性が無期懲役判決を受けたが、その後の新たなDNA型鑑定の結果、再審が認められ、無罪が確定している。

[江川紹子 2017年1月19日]

事件発生~有罪確定

被害者は、3月8日深夜から9日未明にかけて、この空き室で首を絞められて殺害されたとみられ、財布から1万円札が抜き取られて小銭だけが残されていた。

 このアパートに隣接するビルで、ネパール人の仲間4人と共同生活をしていたゴビンダ・プラサド・マイナリは、警察官に事情を聞かれた後、不法残留で検挙されて国外に退去強制処分となることを恐れ、仲間とともに一時ウィークリーマンションに身を潜めた。しかし、本件に関連して警察が自分たちを探していると知り、3月22日、自ら警視庁渋谷警察署に出頭した。入管難民法違反(不法残留)で逮捕・起訴され、東京地裁で懲役1年執行猶予3年の判決を受けた5月20日、本件の強盗殺人罪容疑で再逮捕された。

 ゴビンダと事件を直接結びつける証拠はまったくなく、捜査段階での自白もない。裁判で検察側は、アパートの便所に捨てられていた使用済みコンドーム内の精液から被告人DNA型が検出された、現場から採取された毛髪のうち1本のDNA型が被告人と一致した、などの状況証拠や間接事実によって、有罪を立証しようと努めた。

 これに対し東京地裁は、ゴビンダは現場付近で売春を行っていた被害者の客になったことがあり、コンドームがそのときのものであることを否定できない、現場には第三者の毛髪も落ちていたことから、ゴビンダの毛髪があるからといって犯人であると決めつけられない、などと指摘。さらに、被害者の定期入れが、ゴビンダにはまったく土地勘のない豊島区巣鴨(すがも)の民家の敷地内から発見されたことなどの疑問点もあげ、犯人であるとするには合理的な疑いが残るとして無罪とした。

 しかし、検察側の控訴を受けた東京高裁は、コンドーム内の精液は、事件当日ごろのものと考えて矛盾はない、ゴビンダが事件の1週間から10日前に被害者の客となり、そのときにコンドームを捨てたという供述は、売春相手を克明に記した被害者の手帳の記載に照らして信用できない、などとして、一審判決の事実認定を覆して逆転有罪判決を下し、無期懲役刑を宣告した。定期入れの発見場所についての謎(なぞ)など、一審が指摘した疑問点が残されたが、「(だからといって)被告人と本件との結びつきが疑わしいことにはならない」として、問題視しなかった。

 2003年(平成15)10月に最高裁が上告を棄却し、高裁での有罪判決が確定。ゴビンダは横浜刑務所で服役を開始した。

[江川紹子 2017年1月19日]

再審請求~再審

弁護団は、2005年3月に東京高裁に再審請求を行った。2009年になって同高裁は、弁護団の求めに応じ、幅広い証拠開示とDNA型鑑定可能な試料の適切な保管を検察側に要請。その後、同高裁は現場から採取された試料のDNA型鑑定の実施を検討するよう、検察側に求めた。

 2011年7月、東京高検が依頼した法医学者による鑑定結果を弁護側に開示。それによると、被害者の体内から採取された精液のDNA型はゴビンダとは一致せず、現場に落ちていた毛髪のなかの1本(試料番号376)と一致していた。血液型は、いずれもゴビンダ(B型)とは異なるO型であった。

 その後、被害者の胸に付着した唾液(だえき)がO型であることを示す鑑定結果が、裁判の段階で証拠開示されていなかったことが判明。弁護側のみならず、これを報じるメディアからも、検察側は自分たちに不利な証拠を隠していたのではないかと批判が起きた。

 検察側の新たな鑑定の結果、この唾液からも試料376と同じDNA型が検出されている。そのほか、被害者の下着、唇(くちびる)、下半身、両手指の爪(つめ)、コートなどの付着物からも、試料376と同じDNA型が検出された。

 2012年6月7日、東京高裁第4刑事部は「『376の男』が犯人であると強く疑われる」として、再審開始と刑の執行停止を決定。ゴビンダは刑務所から釈放されて、身柄を入国管理局(現、出入国在留管理庁)の施設に移され、8日後にネパールに向けて出国した。

 東京高検は、再審開始決定に異議を申し立てたが、東京高裁第5刑事部が異議を棄却。検察側は最高裁への特別抗告を断念し、再審開始が確定した。この再審は、一審無罪を逆転有罪とした控訴審のやり直しである。

 再審公判は1回で結審し、検察側は一転して「被告以外の者が犯人である可能性を否定できず、被告を有罪とは認められない」と、無罪を主張した。高裁での審理には、被告人に出頭義務はないため、ゴビンダは出廷しなかった。

 2012年11月7日、東京高裁は控訴棄却の判決を下し、一審の無罪判決を支持。東京高検が上訴権放棄を申し立て、無罪が確定した。

[江川紹子 2017年1月19日]

無罪判決後の再勾留

本件では、一審の無罪判決後の身柄拘束についても問題になった。

 刑事訴訟法の規定により、無罪判決が出された場合、被告人の身柄を拘束している勾留(こうりゅう)状は効力を失う。そのため、無罪を言い渡された被告人は釈放される。ゴビンダの場合も、無罪判決後は勾留を解かれ、不法残留による退去強制手続きを進めるために、身柄は入管施設に移された。これに対し、「出国したら、控訴審で有罪になった場合に刑の執行ができなくなる」と考えた検察側は、原審の東京地裁と東京高裁に勾留の職権発動を求めたが、裁判所はいずれも認めなかった。それでも検察側は、訴訟記録が東京高裁の本件担当部に届いた後に、三度目の職権による勾留状の発付を請求した。

 高裁の第4刑事部は、再勾留を決定。ゴビンダの身柄は、東京拘置所に戻された。さらに最高裁第一小法廷も、「第一審裁判所が犯罪の証明がないことを理由として無罪の判決を言い渡した場合であっても、控訴審裁判所は、記録等の調査により、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認めるとき」は勾留できるとして、弁護側の特別抗告を退けた。ただし、同小法廷の5人の裁判官のうち2人は、これに反対する意見を書いている。

 この問題は、在留資格を有さない外国人を追い出すための入管法に基づく行政処分と、被告人を逃亡させないための刑事訴訟法に基づく身体拘束処分との関係を調整する規定がなく、アメリカと韓国の2国以外とは犯人引渡し条約を結んでいないために起きたものである。本件の後も、一審で無罪判決を受けた外国人被告人が、控訴審段階で勾留決定される事例が相次いでいる。その後の事件でも、最高裁は「無罪判決の存在を十分に踏まえて慎重になされなければならない」としながらも、再勾留を認めている。

 一方、日本弁護士連合会は、「判決で無罪の言渡しがあったときは、上訴審において原判決が破棄されるまで、新たに勾留状を発することはできない」との条文を刑事訴訟法に新設すべき、とする意見書を発表している。

[江川紹子 2017年1月19日]

『読売新聞社会部著『再審無罪――東電OL事件 DNAが暴いた闇』(中公文庫)』

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