日本歴史地名大系 「松原八幡神社」の解説
松原八幡神社
まつばらはちまんじんじや
山陽電鉄本線
文永三年(一二六六)五月一日の石清水八幡宮検校御教書(石清水文書)に「松原別宮」とみえ、このとき石清水八幡宮から一切経会料田三町の寄進を受けている(「石清水八幡宮寺公文所下文」同文書)。同時に松原別宮の境内敷地が東西六町・南北二町と定められ(同年同月二日「松原別宮預所右衛門尉俊弘下知状」同文書)、南北朝・室町・戦国時代においてもこの範囲が変化することはなかったという。文永九年一〇月日の石清水八幡宮公文所下文(同文書)によれば、行源が莫大な私財を投じて御殿・二階楼門・築地・経堂・殿上・東西棟門などを新たに造営し、松原別宮の姿を一新させた。
松原八幡神社
まつばらはちまんじんじや
町の南、
境内に江田隆貫を祀った
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報