桑実寺(読み)くわのみでら

精選版 日本国語大辞典 「桑実寺」の意味・読み・例文・類語

くわのみ‐でら くはのみ‥【桑実寺】

滋賀県蒲生郡安土町にある天台宗の寺。山号繖山(きぬがささん)天智天皇の勅により藤原鎌足の子の定恵が創建したと伝えられる。天正四年(一五七六織田信長が堂宇を再建。天文元年(一五三二)将軍足利義晴が滞在し、「桑実寺縁起絵巻二巻」(国重要文化財)を奉納。桑峰薬師

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デジタル大辞泉 「桑実寺」の意味・読み・例文・類語

くわのみ‐でら〔くはのみ‐〕【桑実寺】

滋賀県近江八幡市にある天台宗の寺。山号は繖山きぬがさざん開創は7世紀後半、藤原鎌足の子、僧定恵と伝える。「桑実寺縁起」2巻は重文。桑峰くわみね薬師。

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日本歴史地名大系 「桑実寺」の解説

桑実寺
くわのみでら

[現在地名]安土町桑実寺

きぬがさ山北西山腹に位置する。繖山と号し、天台宗。本尊薬師如来。桑実薬師・桑峯薬師などともよばれた。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔桑実寺縁起〕

足利義晴が寄進した桑実寺縁起(国指定重要文化財)によると、天智天皇の第四皇女阿閇(のちの元明天皇)は病床の夢中で湖上にさす七層の光をみる。侍僧定慧の占いによって湖岸に七光寺を建立して法会を修したところ、皇女の病気は平癒した。このとき湖中より薬師如来が出現、白水牛に乗り、また岩駒を駆って繖山に飛来した。そこで当地に精舎を建立し、定慧を導師として如来を安置したという。この縁起は湖北の古代信仰、ことに竹生ちくぶ(現滋賀県びわ町)を中心とする観音・弁財天信仰の影響が色濃いといえよう。

〔六角氏の外護と将軍足利義晴の滞在〕

古くから近江守護佐々木氏(六角氏)とのかかわりが強く、貞永元年(一二三二)には佐々木信綱の招請により、のちの京都東福寺開山弁円が駿河久能くのう(現静岡市)から当寺に入り(日本名僧伝)、延文五年(一三六〇)六角氏頼は当寺に寓止していた永源寺開山元光に帰依している(瑞石歴代雑記)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桑実寺」の意味・わかりやすい解説

桑実寺
くわのみでら

滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市安土町桑実寺(あづちちょうくわのみじ)にある天台宗の寺。433メートルの繖山(きぬがさざん)の中腹にある。677年(天武天皇6)、天智(てんじ)天皇の勅願により、藤原鎌足(かまたり)の子、定恵(じょうえ)によって創建されたと伝える。寺名の由来は、定恵が唐から持ち帰った桑の実を植えて養蚕を教えた因縁による。歴朝の祈願道場として栄えたが、しだいに荒廃し、1576年(天正4)安土城を造築した織田信長によって再興された。江戸後期以降、火災や暴風雨により諸堂を失い、現在、桃山期の建築様式を示す本堂(国の重要文化財)、開山堂などがある。本尊の薬師如来(やくしにょらい)は地域では桑峯(くわみね)薬師と称し、難病救済の霊像として信仰されている。薬師如来の霊験(れいげん)を描いた絵巻『桑実寺縁起』2巻があり、国の重要文化財に指定されている。

[塩入良道]


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改訂新版 世界大百科事典 「桑実寺」の意味・わかりやすい解説

桑実寺 (くわのみでら)

滋賀県近江八幡市の旧安土町にある天台宗の寺。山号は繖山(きぬがさざん)。桑峰薬師ともいう。天智天皇の勅願によって,藤原鎌足の子定慧が開創したと伝えられ,湖上に出現したという薬師如来を安置する。定慧が中国より桑実をもたらし,ここに植えたことにより,桑実寺と称したという。寺宝の《桑実寺縁起》は寺の由緒や本尊の霊験譚を語り,絵は土佐光茂,詞は後奈良天皇,青蓮院尊鎮法親王,三条西実隆らが書いたものである。
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事典・日本の観光資源 「桑実寺」の解説

桑実寺

(滋賀県蒲生郡安土町)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

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