日本大百科全書(ニッポニカ) 「横芝」の意味・わかりやすい解説
横芝
よこしば
千葉県中東部、山武郡(さんぶぐん)にあった旧町名(横芝町(まち))。現在は横芝光町(よこしばひかりまち)の南西部を占める地域。下総(しもうさ)台地と九十九里平野に広がる。旧横芝町は1897年(明治30)町制施行。1955年(昭和30)大総(おおふさ)、上堺(かみさかい)の2村と合併。2006年(平成18)、匝瑳(そうさ)郡光町と合併して横芝光町となった。旧町域はJR総武(そうぶ)本線と国道126号が通じる。姥山(うばやま)貝塚から縄文土器が出土、さらに武射国造(むさくにのみやつこ)の支配下にあって、芝山古墳群(しばやまこふんぐん)から形象埴輪(はにわ)の行列が発掘され、ともに国の史跡に指定されている。中世、山辺荘(やまのべのしょう)に属し、千葉氏一族の領有を経て、江戸時代は旗本領となった。養豚と米作、トウモロコシ栽培が盛んで、メロン、トマトなどの施設園芸も行われる。新東京国際空港(現、成田国際空港)の開設に伴い栗山(くりやま)・中台(なかだい)工業団地が造成された。海岸では沿岸漁業の衰退とは反対に、海水浴場、民宿などの施設が充実している。江戸後期の儒学者海保漁村(かいほぎょそん)の出生地で、県指定史跡の石碑があり、伊能忠敬(いのうただたか)の実家(神保家)もある。
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『『横芝町史』(1975・横芝町)』