汎知学(読み)はんちがく(英語表記)pansophia[ラテン]
Pansophie[ドイツ]

改訂新版 世界大百科事典 「汎知学」の意味・わかりやすい解説

汎知学 (はんちがく)
pansophia[ラテン]
Pansophie[ドイツ]

16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパの転回期に出現した北方の精神運動。ラテン語,ドイツ語を直接写してパンソフィア,パンゾフィーともいう。H.クーンラート,ノリウスNollius,ドルンG.Dorn,V.ワイゲル,ジデロクラテスS.Siderocratesのような,主としてドイツのカッセルフランクフルトを中心に活動した学者たちによって1600年前後に培われ,やがてチュービンゲンの知識人グループに波及してより福音主義的な色彩を帯びながら,J.V.アンドレーエの薔薇(ばら)十字文書に集中的表現を見いだした。なお本来,〈汎知学〉とは〈神智(知)学theosophia,Theosophie〉の対概念で,ギリシア語の〈すべてpan〉と〈知sophia〉とからなり,一般的用法では〈百科全書的知識〉を意味する。

 中世の世界認識が崩壊したとき,二様の新たな世界認識が台頭した。一つは,直接に神の核心へと参入し,その“上から”この世のすべてのものを認識せんとする神智学,これに対して“下から”,すなわち地上の物質的存在との対応から天上の超越的存在を類推的に認識せんとするのが汎知学である。後者では地上的なものに重きがおかれ,現代の汎知学研究家W.E.ポイカートにしたがうなら,〈植物や樹木,動物や鳥,鉱物岩石のうちなる全自然が,神の諸力がそこから認識されるところの一冊の教科書〉とみなされる。言いかえれば,中世を通じて唯一至高の書物であった〈神の書〉たる聖書に代わり,また聖書と並んで〈自然の書〉が読むべき書物として登場してきたのであり,これを解読するのが汎知学者のつとめとなる。

 〈自然の書〉とは,ロゴス化された聖書に対していまだ書かれざる書物,すなわち神の手によって創られた自然のなかにすでに書き込まれていながらまだ言語化されていない書物の謂(いい)であり,その意味でこの書物はいまだ“隠されて”いる。この隠された書を発見する術は,当時しばしば〈表徴の術(シグナトロギアsignatologia)〉とも呼ばれた。すなわち,〈事物の内的存在ならびに本質はすでにその形体のなかに書き込まれている。かかる思想は素朴である。それは無学文盲の人々の間にすら見られる思想である。それはまたそのアナロジカルな推論によって本来中世のものである。だが自然魔術(マギア・ナトゥラリスmagia naturalis)が夢想家や探究家の心を魅していた当時のような時代にあっては,このような思想が学問的著作のうちにも忍び込んでくる。イタリア人たちがこれを活用する。G.B.dellaポルタ珍奇な《自然魔術》,世を驚愕せしめ意表をつくための珍品奇種に満ち満ちたあの驚異博物館は,この原理を存分に活用している〉(ポイカート《汎知学》)。

 自然の書は,このように中世を通じて,司祭や神学者たちが拠っていた公然たる神の書とともに,無学文盲の民衆の実生活に依拠した自然観照を通じて培養されてきた。ただ言語化されていないために,その知はいまだ隠されているのである。汎知学者たちがイタリア人観相学者ポルタとともに師と仰いだパラケルススは,長い放浪の途上で直接に民衆と接触し,その素朴な民間信仰や自家医療の実践を知の源泉としてきた。それが“下から”の認識という意味であり,ヘルメス思想の〈上なるものは下なるものと相同じく,下なるものは上なるものと相同じい〉の対応原理がここにも共鳴している。このように汎知学はたえず“上”と“下”との対応において思考したので,もっぱら“上”と切り離された“下”である物質世界の自律的構造を追究する近代自然科学の認識論とは似て非なるものといえよう。

 一方,汎知学は自然の博物誌的諸項目をしらみつぶしに観照するために,必然的に百科全書的表現に向かう。たとえばジデロクラテスの《キリスト教的パラケルススの百科事典》は連環的に構成された博物誌的汎知学であり,のちのフランス・アンシクロペディストの思想的先駆をなす。汎知学は1600年前後の世紀転回期を自然魔術的思考によって通過したあと,三十年戦争の危機のなかで薔薇十字運動の思想的背景として吸収され,またJ.ベーメおよびベーメ派,J.A.コメニウスらに後継者を見いだした。
薔薇十字団 →ヘルメス思想
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報