東山の支峰、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区鹿(しし)ヶ谷にある浄土宗系単立寺院。山号は善気山,寺号は万無教(まんむきよう)寺。もと浄土宗捨世派の本山。鹿ヶ谷の地は浄土宗祖法然が弟子の安楽,住蓮とともに《六時礼讃》を唱え専修(せんじゆ)念仏の修行をした旧跡であるが,その後久しく荒廃,1680年(延宝8)に知恩院第38世万無が弟子の忍徴に命じて復興したのが,現在の法然院である。持戒持律の学僧であった忍徴は,17条の厳しい寺規を定めて当院を浄土宗のなかでも特色ある律院として基礎づけ,以来専修念仏の修行道場としての性格を保持し続けてきた。忍徴の事業として著名なものに大蔵経の対校がある。寺宝としては重要文化財の狩野光信筆の襖絵(桃山期),延応版《選択(せんちやく)集》などがある。また,本尊直壇上の25の生花の散華(さんげ)は独特の荘厳として知られている。境内の墓地には,当院の閑寂を愛した河上肇,谷崎潤一郎,内藤湖南,九鬼周造,福田平八郎,稲垣足穂などの学者・芸術家の墓がある。
執筆者:橋本 峰雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市左京区鹿ヶ谷(ししがたに)御所ノ段(ごしょのだん)町にある単立寺院(もと浄土宗捨世(しゃせ)派本山)。善気山万無(ぜんきざんまんむ)寺と号するが、現在、本山獅子谷(ししがたに)法然院と称する。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。1206年(建永1)ごろ、法然(源空)は弟子の住蓮(じゅうれん)、安楽(あんらく)とともに六時礼讃(らいさん)を修した。ところがこの法会(ほうえ)に加わっていた宮中の女官鈴虫(すずむし)・松虫などが道心を発して出家したため、後鳥羽(ごとば)上皇の怒りに触れ、法然は四国へ流され、弟子2人は死刑に処せられたという。その念仏修行の旧跡を法然院といった。その後長く廃絶していたが、1680年(延宝8)知恩(ちおん)院第38世万無は徳川家綱(いえつな)にその再興を請い、弟子忍澂(にんちょう)とともに、翌年、現在の地に堂宇を建てた。第2世を継いだ忍澂は不断念仏(ふだんねんぶつ)を始め、現在に及んでいる。1703年(元禄16)徳川綱吉(つなよし)の母桂昌院(けいしょういん)などの援助により官寺となる。法然上人(しょうにん)二五霊場の第19番札所。方丈は後西(ごさい)天皇皇女誠子内親王の御座所の遺構で、襖絵(ふすまえ)(「桐(きり)に竹図」「若松図」など)が国重要文化財に指定されている。境内墓地には谷崎潤一郎、河上肇(はじめ)など著名人の墓が多い。
[清水 乞]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…寺のかたわらの池に白い蓮を植えたので〈白蓮社〉とよばれたというこの結社は,後世に深い影響を与え,宋代以後,各地に〈集蓮社〉と称する念仏結社が組織された。朝鮮や日本にもこの結社の風が伝えられ,京都鹿ヶ谷の法然院はその一つである。浄土教【礪波 護】。…
※「法然院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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