20世紀日本人名事典 「浦山 桐郎」の解説
浦山 桐郎
ウラヤマ キリオ
昭和期の映画監督
- 生年
- 昭和5(1930)年12月14日
- 没年
- 昭和60(1985)年10月20日
- 出生地
- 兵庫県相生町(現・相生市)
- 学歴〔年〕
- 名古屋大学文学部仏文科〔昭和29年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 年間代表シナリオ〔昭和37年 38年 50年 52年 55年〕,日本映画監督協会新人賞(第3回)〔昭和37年〕「キューポラのある街」,ブルーリボン賞新人賞(第13回)〔昭和37年〕,モスクワ国際映画祭金賞〔昭和38年〕「非行少女」,シネ・フロント賞監督賞(第10回)〔昭和60年〕,日本映画復興賞特別賞(第3回)〔昭和60年〕
- 経歴
- 昭和29年日活入社。川島雄三、今村昌平監督に師事。37年監督第1作「キューポラのある街」は青春映画として高い評価を受け、日本映画監督協会新人賞など受賞。続く「非行少女」(38年)もモスクワ国際映画祭で金賞。3作目の「私が棄てた女」(44年)の後はフリーとなり、「青春の門」(50年)「青春の門・自立篇」(51年)「暗室」(58年)を撮ったが、作品は児童映画を入れても9本だけという寡作。粘り強い演出ぶりと女優を育てることに定評があり、吉永小百合主演の「夢千代日記」(60年)が遺作となった。児童映画に「龍の子太郎」「太陽の子・てだのふあ」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報