清津(読み)せいしん(英語表記)Ch`ǒngjin

精選版 日本国語大辞典 「清津」の意味・読み・例文・類語

せいしん【清津】

朝鮮民主主義人民共和国北東部、咸鏡北道の道庁所在地。日本海に面する港湾工業都市。一九〇八年開港。一九六〇年、富寧・羅南地区を編入し直轄市になる。重化学工業がさかん。

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デジタル大辞泉 「清津」の意味・読み・例文・類語

せいしん【清津】

チョンジン

チョンジン【清津】

朝鮮民主主義人民共和国の北東部、咸鏡北道の工業都市。道庁所在地。日本海に面し、貿易港。製鉄製鋼が盛ん。せいしん

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改訂新版 世界大百科事典 「清津」の意味・わかりやすい解説

清津 (せいしん)
Ch`ǒngjin

朝鮮民主主義人民共和国北東部の都市。人口58万2480(1993)。天然の良港を有し,漁業や各種工業が発達する。1960年に隣接の羅南市,富寧郡の一部を合併し,7区域からなる直轄市に昇格した。李朝時代には零細な漁村にすぎなかったが,1908年に開港し,北部山地の木材水産物の貿易港として発展しはじめ,29年に咸鏡線が開通すると,北部山岳地域への交通の要衝となった。日本植民地時代末期に茂山(もさん)の鉄鉱阿吾地石炭を原料とする製鉄工業が建設され,それ以来北部朝鮮の冶金工業の基地となった。朝鮮戦争では大きな被害を受けたが,復旧され,製鉄以外にも各種機械,造船,化学繊維等の工業が建設されて,咸興と並ぶ共和国の重工業地帯となっている。工業原料の自給化政策を進めている共和国は豆満江流域の天然資源に注目し,清津はその開発拠点となっている。また1次産業においても,輸城平野の稲作や日本海でのスケトウダラ,タラ漁業に力が入れられている。清津港は国際貿易港として各国の貿易船が出入し,日本へも新潟港などへ石炭や鉄鉱石を積んだ貨物船が往来している。また在日朝鮮人の帰国船が到着する港としても知られている。
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百科事典マイペディア 「清津」の意味・わかりやすい解説

清津【せいしん】

朝鮮民主主義人民共和国,咸鏡北道の道都。日本海に臨む貿易港・重工業都市で,隣接の富寧郡と羅南市を編入して1960年から1985年まで直轄市となっていた。鏡城湾の北端に位置し,1908年の開港以来海陸交通の要地として,日本の大陸侵略の拠点となった。朝鮮戦争で荒廃したが,戦後は重工業都市として面目一新,後背の茂山鉄山はじめ豊富な地下資源と水力発電を利用して清津製鋼所,金策製鉄所が操業し,鉄鋼コンビナートを形成している。このほか清津化学繊維工場,清津造船所,羅南製薬工場などがある。文化の中心地で,清津工業大学,鉱山金属大学,師範大学などがある。在日朝鮮人の帰国港であった。61万4892人(2008)。
→関連項目吉州金策羅津・先鋒

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「清津」の意味・わかりやすい解説

清津
せいしん / チョンジン

北朝鮮、咸鏡(かんきょう)北道にあり、日本海に臨む工業都市。道所在地。直轄市。1908年開港したもっとも古い貿易港の一つで、かつては日本の大陸進出の兵站(へいたん)基地として製鉄、油脂工場が置かれ、「東満州」に直通する鉄道が敷かれていた。1945年の解放後、製鉄施設は朝鮮戦争の戦災にあい、新装備で再建され、屈指の金属工業基地となった。おもなものは清津製鋼所、金策製鉄所で、茂山鉄山から精選された鉄鉱石を輸送管で受け、製鉄、製鋼、特殊鋼などの製品を産出している。ほかに清津化学繊維工場、造船所、羅南(らなん)陶磁器工場、製菓工場がある。

 市街地は鏡城湾に注ぐ輸送川を挟んで海岸沿いに発達しているが、1960年都市行政区画の改編により富寧、羅南地区が編入され広域市域化している。北朝鮮の東北地方の政治、経済、文化の中心地として政府機関や文化芸術機関があり、清津工大、鉱山金属大学、師範大学がある。港は漁港と貿易港に分かれ、清津からロシア連邦のウラジオストクや、日本の新潟行きの航路がある。

[魚 塘]

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